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2008.08.17

『暴走する資本主義』

アメリカの経済本の翻訳です。原題は「Supercapitalism」です。

資本主義の行き過ぎで、民主主義が衰退していると説いている本です。

小学生の頃、資本主義=民主主義と習った記憶があり、なんとなくそれが定義だと思っていたのですが、よく考えると全然違うのですね。振り返ってみると、小学生の頃は冷戦真っ只中で、子どもには資本主義=民主主義と教える必要性があった、ということですね。

会社の主体は社員で、株主は資金調達源というのが、1990年代頃に肌で感じていたところです。でも、2000年代頃には、会社の主体は株主であり、社員は労務を提供している機能に過ぎないという感覚になってきています。これも、Supercapitalismのひとつの現れなんでしょうね。

CSRについて、この本では1章を割いて説いています。この中で、『超資本主義では、利益を損なうような社会的善行は許されない。どんな企業であれ、競争相手が引き受けないような追加費用を「自発的に」引き受けることはできないのだ。』と書かれています。CSRが偽善なのかはともかく、利益追求活動であることは間違いありません。企業のCSRについての広告に触れるときには、このことを意識しながら見る必要がありそうです。

本書で言う「投資家」「消費者」による経済活動だけでは、「市民」によりよい社会形成は難しいのでしょう。そここそが、政治の出番であるはずです。市民としてはけっこう軽めに捉えている選挙ですが、その面でかなり大事な活動なのだと思います。

暴走する資本主義 / ロバート・B・ライシュ / 東洋経済新報社 / ISBN9784492443514

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コメント

こんにちは。
会社は、誰のものの議論が、また再燃しそうですね。
2000年来は、規制緩和によって、企業の力を強化して、経済成長を一応はしてきたのですが、その対価が株主重視のためかそちらに振り向けられて、従業員には十分な対価を得られなかったと思います。
内需が起爆しなかった、経済成長だったと思っています。
そのコントロールが、公的機関の役割だったのですが、怠慢かどうかわかりませんが、不十分だったと感じています。
内需へ起爆できていれば、さらなる成長が望めていたのに、残念です。

投稿: つるかわ住人 | 2008.08.17 18:07

>つるかわ住人さん

>そのコントロールが、公的機関の
>役割だったのですが、怠慢かどうか
>わかりませんが、不十分だったと
>感じています。

この部分、いわゆる郵政解散時の衆議院選挙、それと前後した竹中平蔵大臣の活躍が、内需(→従業員への配分)ではなく株主などの投資家への配分を指向したものと感じています。

あのときの選挙で、国民がそのような選択をしたとは、あまり思わないのですけど…

投稿: くろかわポタリング研究所 | 2008.08.18 23:59

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