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2009.07.08

『田母神塾』

APAへの投稿論文の問題で有名になった田母神俊雄の著書です。

件の論文の主張と同じく、太平洋戦争は日本の侵略戦争ではなかったという主張が繰り広げられています。

正直言って、田母神論文やこの本を読んで侵略ではなかったと思うとか、教科書を読んで侵略だったと思うとか、安易な結論付けで解釈するのは危険だと思います。両論あり、議論されていることを知っておくことが大事です。

ただ、いわゆる「村山談話」が、政府見解です。政府としては「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たということと解釈し、政府運営に当たることを決めています。これを覆すには、村山談話を破棄する公約を掲げる政党が国民の支持を得、政権を取ることが必要だと思います。

自衛隊は、政府の一組織です。政府方針に従って業務をすべきであって、政府方針と違う業務をするわけにはいきません。このことと、言論の自由を一緒に扱わないでほしいなというのが感想です。

著者いわく、この本の対極にあるのは歴史教科書のようです。日本史教科書を読まねば?

田母神塾 -これが誇りある日本の教科書だ- / 田母神俊雄 / 双葉社 / ISBN9784575301106

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コメント

以下、酔っ払いのレス。


何も縄文時代や弥生時代の話をしているわけではない、たかだか50~100年前の出来事が、どうして「藪の中」なのかが不思議なんだよね~f(^_^;


自分の主張を正当化するために「客観的事実」を利用して「史観」を主張するから話がややこしくなる。
「推論」「仮説」といったものは常にそうしたものなんだろうけど、それが客観性を(いつまで経っても)帯びないのは立証が不足しているからで、そして歴史ってのはそれが極めて困難だよね。
だって、すべては「過去の話」で、「仮説を立証するための再現」が出来ないから。
だから常に「推論」「仮説」はその域を出ず、結局「個人史観」にとどまらざるを得ない。個々人の「スタンス」で語るしかないわけで。

ただ、いつもこの話が出るたびに思うのは、「純粋に学術的スタンスで語れないほど、近代の歴史とは難しいものなんだっけ?」と。

それぞれの思惑があったことは確かだと思う。
「侵略された(と受け取った)人々の思い」と、「秩序の統一化(という名目での侵略)に加担した側からの視点」で、見え方はおのずと違うことは当然だろうから。

だから、その両方の視点から物事を見ずに、どちらか一方だけの視点を正として「正しい(というか、「客観的な」)」史観なんて語れるはずがないんじゃないかな?と。

でも要するに今この話題がここまで紛糾する理由は、そこに、「僕たちにとっての現実的な利害関係」が存在するからなんだよね?
これが直接的な利害関係が成立しない「A国とB国の話」だったら(今の時代では、そこまで関係がない国なんて「違う星の話」でもない限りありえないんだろうけど)、もうちょっと冷静に話が出来るんじゃないかなぁ?って、いつも思う。

逆を言うと、もっとも利害関係が絡まない(絡みにくい)国から見れば、我々の「歴史」は、どのように見えるんだろうね?
まぐは国際的な人間じゃないから聞いたことないけど、(非アジア系の)外人から見たら、この問題、どういう風に見えるんだろ?

投稿: まぐ | 2009.07.09 00:26

>まぐさん
そう、たかだか64年前の出来事。その時代を知っている人も多く存命にも関わらず、事実が掴めない歯痒さがありますね。
コメントの通り「利害」なんだと思います。でも、非アジアが第三者かと言えばそうではない。欧米も侵略者だったわけで。第三者なき史実評価なんて、できっこない?
欧米との関係を遡ってみると、さんざん欧(米)はアジアに対して悪いことをやってきて、新参者の日本がやって来たときにコテンパに叩いて自分らのツケを新参者に払わせた、そんな気がするんだけど…

投稿: くろかわポタリング研究所 | 2009.07.09 08:35

そういう意味では、「持つ者」はひたすら飽食を極め、「持たざる者」から搾取を続けるという構図は昔から変わらないのかもしれないね。

投稿: まぐ | 2009.07.09 21:04

欧米の「持つ者」としての戦略は、見事です。

投稿: くろかわポタリング研究所 | 2009.07.10 08:40

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