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2012.02.09

『ノルウェイの森』

ふと読み返したくなって自宅の本棚を探したけど見つかりませんでした。もしかしたら伊丹の実家にいる頃に読んでブックオフに持って行ってしまったんだっけな…と思いつつ本屋で文庫本を買い直しました。

独特のことばが詰め込まれていて、さすが一流の小説家の表現力は違うなと圧倒されます。

1969年という時代を舞台にしています。私が生まれる3年前の時代ですが、ハルキ小説その他の本から得た情報で私にとって不思議な時代として認識している時代です。

時代にのめり込んで「運動」に参加する若者と、そういう時代の流れから距離をとって冷静を振舞う若者。ノルウェイの森の主人公ワタナベは後者なのでしょう。世の中を達観しているような言動を繰り返すワタナベ。それに惹かれる直子、ミドリ、レイコ、ゆきずりの女。ワタナベのモテ男っぷりをたっぷり書いているのですが、こういう姿勢のかっこよさというのがどこかにあるんでしょうね。離れたところで冷静に思いつめた(ふりをする)かっこよさへの憧れがこの頃のハルキ小説の醍醐味なんでしょう。

キズキ、直子、レイコといった精神を患った人が真っ直ぐに見え、世の中の一般人が歪んで見える世界観をうまく描いています。この世の中のはどこかおかしくって、そんな世の中を普通に生きている一般人がおかしいんだと言わんばかりです。じっさい、そうなのかもしれません。「死は生の対局にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」という世界観独特です。

若い頃に読んだ時には気づかなかったのですが、永沢の言葉が意外と重いですね。「ときどき俺は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね。」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。」 永沢は「できる」男なのだが、それは努力できる能力の持ち主なのだ。周囲は「あの人は最初っから何でもできてうらやましい」と思う対象なんだろうけど、ストイックな努力の成果として「できる」男が存在しているんだということ。これは、40歳になろうとしてようやく理解できた言葉かもしれません。

久しぶりに読み返して、ずいぶんといっぱい詰め込んだ小説だなと感じました。読んでよかったという充実感があります。

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