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2012.05.02

『限界集落の真実』

限界集落とは50%以上が65歳の高齢者である集落のことです。

都市の過密と地方の過疎という社会現象の結果として生じ、それらの限界集落はそのうち消滅していくというのが一般的な認識だと思います。

東北や山陰などの都市から遠い地方では、とっくに消滅した集落はたくさんあるもんだと思い込んでいました。しかし、この本を読むと消滅した集落はほんのわずか、そのわずかの消滅集落も放棄はされず隣接の集落により管理されているという事実が書かれています。先入観というのは怖いものだなと思いました。

ただし、30代~40代が都市に出ていってしまった結果、集落で子どもが生まれない。集落に小学生がいないという事態は過疎地方ではそうとうある事例とのこと。集落の構成年齢のほとんどが60歳代以上となっていて、このまま人口構成が推移すると、数十年後には誰も住む人がいなくなるという危機は現実に存在していることは本書も指摘しています。ただし、都市に行ってしまっている世代も、そのうち故郷に戻りたいという希望を持っている人がかなり多くいるようです。現実的には、定年で都市での仕事がなくなることや、親の死去で故郷の田畑を維持する必要がでてくることなどがきっかけとなるのでしょう。それらの人をきちんと戻す施策を取りさせすれば、構成年齢層が下がることはないにしろ集落の消滅は避けられるというのが本書の主張です。

本書では、グローバル経済の浸透に因る人口の都市への集中と地方の過疎は、一時的な現象でしかないという主張がなされています。確かに山間部にまで集落を作って分散して居住する形態は中世以来ずっと日本が取ってきた施策であり、都市集中はここ百年程度の現象でしかありません。しかし、地方山間部の小集落に居住したい誘因が相当に少ないというのが私の印象ですので、もはや一時的な現象ではないと思うのですが、いかがでしょうか。

本書にちらほら出てくる交通政策についてが、非常に気になりました。鰺ヶ沢町深谷地区の住民参加型バスの例が挙げられていますが、集落の規模が小さくなってしまうと、公共交通機関が維持できなくなるという問題です。公共交通機関がなくても、自動車があればなんら困ることはないのですが、問題はいつまでも自動車の運転を続けることができないということです。ある程度の高齢になれば自動車の運転は危険になりますし、病気や体調により運転ができなくなってしまうことも考えられます。車の運転ができるというのは、かなり恵まれたコンディションであるという前提を持っておいたほうがいいと思うのです。しかし、地方の企業は車の運転ができることが前提に商業施設などを作ります。これらが集落内の小商店を破壊し、結果として車がないと生活できない環境が生じるのです。(進出企業は直接に手を下すわけではありませんから、罪の意識はないと思います。) 自動車の運転に頼らない交通インフラは、人が住んでいる以上なんらかの形で維持しなければなぁと思います。

しかし、僻地の小集落を維持するためにはコストがかかるのも事実です。本書では大したことのないような書き方でしたが、僻地小集落は星の数ほどあるでしょうから積み上げるとコストは馬鹿にならないと思います。誰がどう負担するのか。きちんと考えなければいけません。

本書ではほとんど触れられていませんが、僻地小集落であっても山林や田畑などの資産(本書では「家産」と記述)の存在は大きなものだと思います。結局私有地であれば特定の個人が所有していることになるので、所有者は有効活用する誘因がありますし、管理責任すら生じてきます。僻地小集落出身者の子孫は、これらの資産に縛られていることも確かでしょう。ただし、消滅寸前集落においては過小評価され、放置されてしまう危険もあります。そうならず、資産を有効活用させるための施策が求められているのだというのが私見です。

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