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2017年7月の9件の記事

2017.07.30

『メアリと魔女の花』


スタジオジブリ系のアニメ制作スタジオ「スタジオポノック」の第1作アニメ映画。ポノックの位置付けがよくわからないのですが、スピンオフなんでしょうか?

で、その作品を子ども2人を連れて多摩センターに観に行きました。日曜日朝9時の回はガラガラでした…

作品は、ジブリ的演出が多用されているというか、各シーンごとに「あの作品がモチーフだな」というのが見て取れる演出です。特に「魔女宅」「千と千尋」辺りがデジャブ。

ストーリー自体はよくあるというか、子どもに取っ付きやすいストーリーです。冴えない少女がファンタジー色のある冒険に出て成長する。極端に要約しちゃえばそれだけです。しかし、気を引くアイテム、男女、精緻な脚本、綺麗な絵、丁寧な動画を組み合わせて、感動を呼び、印象に残る作品として楽しむことができました。

残念なのが、目新しいことが盛り込まれていなかったこと。ジブリ作品は毎回何か目新しいコンテンツを盛り込んできて「今回はこう来たか!」という楽しみがありましたが、今回はポノックがジブリの正当な後継者であることを誇示するための作品か?と思っちゃうくらいジブリ要素だけで終わっちゃいましたね。

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2017.07.26

『ユリイカ 2017年7月号 加藤一二三-棋士という人生』

月刊誌『ユリイカ』は詩人に向けた雑誌。文芸誌と言うべきだろうが、少し思想というか哲学というか、そういう色が濃い雑誌。そんな雑誌が「加藤一二三」を特集していたので、つい買ってしまいました。

大棋士であった加藤一二三九段ですが、その言動の「面白さ」故に観る将の勃興とともに有名になった面もあるかと思います。その加藤一二三の人生観を、本人からも他のトップ棋士からも、観戦記者や言論家からも聞き出し、一つの雑誌に仕立て上げたもの。棋書ではなく哲学系文芸誌で取り上げたことで、より加藤九段の将棋観を鋭く追求した仕上がりになっています。

最終的には、一途によい棋譜を追求した人生が描かれ、いろんな言動もまたよい棋譜のためという加藤九段の将棋観として締めくくられたということでしょうか。やはり、伝説の棋士ですね。

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『溺れるナイフ』


菅田将暉・小松菜奈による青春映画。いわゆる「キラキラ映画」な青春映画。菅田将暉が地元の名家の跡継ぎの中学〜高校生を、小松菜奈がモデルをやってる中学〜高校生を演じるという、設定からしてキラキラしている。

映像に溢れる海、山、川、仮面、火祭り。美しい映像のもとで、2人の青春が挫けながら繰り広げられていく。当然、その青春も作られたように美しいわけで、その美しさを味わうだけの2時間です。

この青春が神からの祟りなのか、神の加護なのか。そういう要素を入れながら神秘性を持たせ映像をより美しく見せようとしている演出もなかなか。単にキラキラより、うまく厚みを持たせて作品を仕上げたと感じます。

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2017.07.19

閃輝暗点



閃輝暗点(センキアンテン)、まるで格闘ゲームの必殺技みたいな四字熟語ですが、病名です。

今日の夕方、これに罹ってしまいました。

18:00頃 事務所で立ち話してると、突然天井が眩しく見える…見回しても異常はなく、やり過ごす。
18:10頃 休憩所でスマホを見ようとしたら眩しくて見れない。
スマホを仕舞い周りを眺めると、世界がなんだかギザギザに見える。
18:30頃 事務所に戻ると、視野の左側がモザイクになってる。いよいよ、何かおかしい。鏡で眼球を見ても傷が付いているようには見えない。
GoogleMapで眼科を探す。パソコンを見るのは辛いが頑張って探す。
旧青梅街道ガードを通って新宿駅東口の眼科へ向かう。左半分の視界は先ほどより解像度が高くなってきて、ボヤけて見える程度まで回復するも、通行人との距離感が掴めず何度も人にぶつかりそうになりながら東口にたどり着く。
19:00頃 眼科で受付。視野はほぼ回復するも、頭が重い。
19:30頃 診察。視野の違和感は解消。頭の重さもかなりマシに。

この診察で「典型的なセンキアンテンの症状ですね。」と。あとで、医師にメモを書いてもらいました。




脳の毛細血管が痙攣を起こして発症するもので、30分〜2時間で回復、この症状から重大な疾患になることもないので、毎日発症するとかじゃないなら放置ですと。これからも定期的に発症するし、そのうち「これから発症する」のがわかってくるようになるからとのこと。う〜ん、この気持ち悪いのが今後も度々あるのは嫌だなあ。しかも、原因不明らしい。

この「閃輝暗点」をWikipedia で調べてみると、ページに貼ってある絵が僕が休憩所で見た光景と同じ。このイメージを絵にできる才能はすごいなと感心しちゃったり。

いま21:30くらい。もうスマホをいじれる程度まで回復しました。

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2017.07.18

『経済古典は役に立つ』


KindleUnlimitedにあったので、何となく読み始めた本。しかし、意外に奥深かった。

本書で取り上げる「経済古典」は以下の10冊
・アダム・スミス『国富論』(1776)
・マルサス『人口の原理』(1798)
・リカード『経済学および課税の原理』(1817)
・マルクス『資本論』(1867)
・ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936)
・シュムペーター『経済発展の理論』(1912)『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)
・フリードマン『資本主義と自由』(1962)
・ハイエク『隷属への道』(1944)
・ワグナー・ブキャナン『赤字財政への政治学』(1979)

いずれも、聞いたことはあるけど読んだことはないなという本ばかりでした。どの本も実際に読むのは難しすぎて、専門家向きだろと思っているものばかりです。
ただ、本書では「古典」を取り上げていると捉えるより、それぞれの経済学者の思想を捉えると考えたほうがいいと思います。書名および発行年は、その時代を明確に示す記号と捉えて読み進めます。時代背景が大切なので、いくつか関係しそうな世界史年表を少し。

1764 多軸紡績機の発明(産業革命)
1776 アメリカ独立宣言
1789 フランス革命
1846 イギリス穀物法廃止
1914-1918 第一次世界大戦
1917 ロシア革命
1929 暗黒の木曜日(世界大恐慌)
1939-1945 第二次世界大戦
(2001-2006 小泉内閣…著者が経済財政政策大臣)

この本で最初の方に強調されて書かれているのが、『偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとした』ことです。アダム・スミスもケインズも「目の前の」問題の解決のための提案をしているということです。あくまでも「目の前の」。

アダム・スミスが国富論を書いた時の「目の前」はどういう状況だったか。
まず、本書で、『国富論』以前に経済学はなかったと書かれています。この時代以前は封建制・地主制の社会で、産業革命などで社会が変わっていてって、労働市場の成立や社会秩序の乱れなどが現れてきます。植民地を支配しなければいけないが戦費は嵩みます。この社会の状態をどのように理解すべきかという課題があった時に、アダムスミスが『国富論』を記したのです。国富論で取り上げた問題は①社会秩序②財政赤字③植民地④重商主義であり、重商主義(貿易黒字を目指す政策)を批判し、「見えざる手」(有名なフレーズですね)に委ねるべきだと説きます。

これを受けての18世紀末〜19世紀初頭のマルサスとリカード。このあたりになると産業革命後の経済で、資本家が台頭する社会。地主、資本家、労働者という3つの対立軸で経済が語られています。産業革命の進展により賃金が上昇し労働者が豊かになり、家族が増え、人口が増える。しかし農地がそれほど増えるわけではないので、食べ物がなくっちゃうのでどうする?という悲観論がマルサスの人口論。このままだったら農地を持つ地主が「差額地代」を得て地主だけが豊かになってしまう、なので穀物法(イギリスによる食料の輸入制限)反対!というのがリカードの主張。当時は工業が発達してきたとは言え、まだ農政が経済学の主な議題だったことが読み取れます。

で、時代は飛んでケインズ。僕らの時代の人間にとってケインズ経済学こそが経済学だと思い込んでいる部分が大きい。中学高校の社会の授業で「乗数理論」とか習ったし、経済学ってそれくらいしか習わなかったし。あたかも万能であるかのように日本人に浸透しているケインズ経済学を、著者はあくまでも特定の問題を解決するための理論でしかないと主張するのが、本書の最重要ポイントです。

『一般理論』(1936)前夜の世界経済は、1929年の大恐慌を受けて、とてもひどい状態。強引な政策をもってしてでも解決しなければいけない課題があったわけです。こんな経済状況を放置して自然に良くなることなんて待てないわけです。そこでケインズの登場。エリート中のエリート(であることを、かなりのページ数を割いて著者は主張)が、「正しい」経済政策として公共事業の拡大を推し進めるわけです。この「正しい」がハーベイロードの前提(エリートは常に正しい!)に基づく怪しい正しさだと、著者はブキャナンの公共選択に代弁させています。

さて、ケインズ後の経済論壇こそが、この本のハイライト。ハイエク、フリードマン、ブキャナンと、新自由主義(シカゴ学派)の登場です。彼らも、個々に問題を掲げ、解決を図ります。
ハイエクにとっての問題 = 集産主義
フリードマンにとっての問題 = スタグフレーション
ブキャナンにとっての問題 = 財政赤字

ハイエクは、自然な秩序への信頼によって問題解決を図ります。エリートによる社会工学的な解決方法に対立する考え方です。
フリードマンは、スタグフレーションのメカニズムを解明します。
ブキャナンは、ケインズ的処方は必然的な(財政の)偏りを生むと解きます。
ハイエクは『民主主義は自由において平等を求めようとする。社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとする。」まで書き、ケインズ的な大きな政府による統制は隷属であるとまで言ってのけます。
この章は、ケインズ経済学に対する強烈な批判が込められています。

本書の著者である竹中平蔵は、「小泉改革」に際して経済財政政策大臣に就任し、民営化推進や公共事業の縮小などインパクトのある経済政策の先頭に立ってきました。この本が書かれたのが2010年。リーマンショック後に民主党が政権を取っていた時代です。財政赤字か急拡大し、自分がやってきた「改革」が水泡と帰す危機を感じていたのではないでしょうか。なので、ケインズ経済学は万能ではなく、今こそ自由主義に立ち返ってほしい思いが本書に現れているような気がします。

のちに、日本経済史において小泉改革はなんだったのかという評価がなされると思います。その時に、それぞれの内閣が解決しようとしてきた問題は、そして解決の手法はを考える時に、著者=政策立案者の思いを振り返ることができる面白い本なのではないでしょうか。


KIndleUnlimitedの本は変な自己啓発書かエロい本ばかりかと思っていましたが、本書のように読み応えのある本も探せばあるのですね。アンリミ、もう少し活用しなきゃ。

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2017.07.14

『そこのみにて光輝く』

佐藤泰志の小説が原作。

鉱山の仕事に失敗し、世の中から逃げて日々を過ごす達夫。仮出所し両親、姉とバラックで過ごす拓児。そして、拓児の姉の千夏。遁世を送る達也と、再貧困の生活を送る千夏・拓児姉弟の関わりが、重く描かれる映画でした。

鉱山の仕事で活躍する現実世界に戻ろうとする達夫と、再貧困の現実世界からの脱出が図れない千夏・拓児。この人間の組み合わせが、悲劇に悲劇が重なる重く暗いストーリーを織り成します。一縷の望みを描き、それを破壊する物語の酷さに胸が痛む。この世界に希望なんかない、幸福なんか絶対に訪れないという気分にさせられる。

最後のシーン、二人を照らす朝日が、人生の希望を連れてくる光だと信じて幕を閉じる。


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2017.07.05

『清須会議』

三谷幸喜の映画作品。Amazonプライムビデオにあったので、自宅で鑑賞。

織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、織田家の跡取りをどうするかを決める「清須会議」が舞台。羽柴秀吉と柴田勝家の駆け引きが映画の主題です。

三谷映画だけあってコメディ仕立てですが、史実に沿う必要があるのが制約なのでしょうか、あまりコメディに突っ走ることもできず、だからと言って人間ドラマに徹することもできず、中途半端な位置付けに終わってしまってるかな、というのか印象。

歴史の主役に躍り出そうになりつつ権力闘争に敗れた柴田勝家が気になりますね。あとでWikipediaじっくり読もう。

清須会議(映画.com)

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2017.07.01

『組織戦略の考え方』

組織論の新書。Kindle版を購入して読みました。

文体が軽く、内容も系統立てて緻密に論理を組み立てるのではなく、感覚論が多い。タイトルに似つかわしくないなあ、組織論では有名な先生のはずなのに、と読み進めました。議論の緻密さはないものの、そのぶん平易な文章になっていて読み進めやすいですね。現実社会の組織について腑に落ちないところが、感覚的に納得できるようになります。

あとがきを見て、本書の文体に納得。雑誌「プレジデント」連載記事を主に単行本に仕立てたそうです。そりゃ、この軽い文体になるわ。

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ユネッサン

6月30日ははるひ野小学校の開校記念日で休み。せっかくなのでレジャーと、箱根のユネッサンに行くことに。

娘が「アレグラ号」(箱根登山鉄道の新型車両)に乗りたいと言うので事前に時刻を調べ、箱根湯本発9時5分の電車を目指して出発します。町田から特急ロマンスカー、箱根湯本からアラグラ号で小涌谷駅まで。

ちょうど箱根登山の線路沿いのアジサイが見頃でした。

偶然、子どもらの友だちが同じ狙いでユネッサンに。合流して遊びました。午前中は雨もちらつき、屋外のプールは寒かった…。

屋外ゾーンの先に、絶景プール(20mの競泳型)と、絶景露天風呂が新設されていました。渓谷を眺めながら、ノンビリできます。

ドクターフィッシュ、ようやく娘(小3)も落ち着いて楽しめるようになりました。前回は怖くて脚を入れることができなかったんですけどね。

午後になり風呂ゾーンでゆっくりし、帰路に就きました。

山を降りる箱根登山に女子小学生、女子中学生の集団がいました。座席に座っていた中学生が大平台で小学生に席を譲ります。なぜ?と聞いたら、そういうルールとのこと。そこで麓から山の上まで毎日通学しているの?と聞いてみると、学校は強羅にあり、自分は伊勢原から通ってるとのこと。別の小学生に聞いてみると、横浜から来ていると。その子は小田原でみんなと別れ、新幹線で新横浜まで行って横浜線で帰ります、と。うちの娘とほぼ同年代なのに、そんなに遠距離通学(しかも新幹線を含む)を毎日しているとは驚きでした。

こちらは観光のため、箱根湯本駅で駅弁を買い、特急で駅弁を食べながらの帰路。

それでも帰宅してヘトヘトでした。

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