カテゴリー「書評」の428件の記事

2017.07.18

『経済古典は役に立つ』


KindleUnlimitedにあったので、何となく読み始めた本。しかし、意外に奥深かった。

本書で取り上げる「経済古典」は以下の10冊
・アダム・スミス『国富論』(1776)
・マルサス『人口の原理』(1798)
・リカード『経済学および課税の原理』(1817)
・マルクス『資本論』(1867)
・ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936)
・シュムペーター『経済発展の理論』(1912)『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)
・フリードマン『資本主義と自由』(1962)
・ハイエク『隷属への道』(1944)
・ワグナー・ブキャナン『赤字財政への政治学』(1979)

いずれも、聞いたことはあるけど読んだことはないなという本ばかりでした。どの本も実際に読むのは難しすぎて、専門家向きだろと思っているものばかりです。
ただ、本書では「古典」を取り上げていると捉えるより、それぞれの経済学者の思想を捉えると考えたほうがいいと思います。書名および発行年は、その時代を明確に示す記号と捉えて読み進めます。時代背景が大切なので、いくつか関係しそうな世界史年表を少し。

1764 多軸紡績機の発明(産業革命)
1776 アメリカ独立宣言
1789 フランス革命
1846 イギリス穀物法廃止
1914-1918 第一次世界大戦
1917 ロシア革命
1929 暗黒の木曜日(世界大恐慌)
1939-1945 第二次世界大戦
(2001-2006 小泉内閣…著者が経済財政政策大臣)

この本で最初の方に強調されて書かれているのが、『偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとした』ことです。アダム・スミスもケインズも「目の前の」問題の解決のための提案をしているということです。あくまでも「目の前の」。

アダム・スミスが国富論を書いた時の「目の前」はどういう状況だったか。
まず、本書で、『国富論』以前に経済学はなかったと書かれています。この時代以前は封建制・地主制の社会で、産業革命などで社会が変わっていてって、労働市場の成立や社会秩序の乱れなどが現れてきます。植民地を支配しなければいけないが戦費は嵩みます。この社会の状態をどのように理解すべきかという課題があった時に、アダムスミスが『国富論』を記したのです。国富論で取り上げた問題は①社会秩序②財政赤字③植民地④重商主義であり、重商主義(貿易黒字を目指す政策)を批判し、「見えざる手」(有名なフレーズですね)に委ねるべきだと説きます。

これを受けての18世紀末〜19世紀初頭のマルサスとリカード。このあたりになると産業革命後の経済で、資本家が台頭する社会。地主、資本家、労働者という3つの対立軸で経済が語られています。産業革命の進展により賃金が上昇し労働者が豊かになり、家族が増え、人口が増える。しかし農地がそれほど増えるわけではないので、食べ物がなくっちゃうのでどうする?という悲観論がマルサスの人口論。このままだったら農地を持つ地主が「差額地代」を得て地主だけが豊かになってしまう、なので穀物法(イギリスによる食料の輸入制限)反対!というのがリカードの主張。当時は工業が発達してきたとは言え、まだ農政が経済学の主な議題だったことが読み取れます。

で、時代は飛んでケインズ。僕らの時代の人間にとってケインズ経済学こそが経済学だと思い込んでいる部分が大きい。中学高校の社会の授業で「乗数理論」とか習ったし、経済学ってそれくらいしか習わなかったし。あたかも万能であるかのように日本人に浸透しているケインズ経済学を、著者はあくまでも特定の問題を解決するための理論でしかないと主張するのが、本書の最重要ポイントです。

『一般理論』(1936)前夜の世界経済は、1929年の大恐慌を受けて、とてもひどい状態。強引な政策をもってしてでも解決しなければいけない課題があったわけです。こんな経済状況を放置して自然に良くなることなんて待てないわけです。そこでケインズの登場。エリート中のエリート(であることを、かなりのページ数を割いて著者は主張)が、「正しい」経済政策として公共事業の拡大を推し進めるわけです。この「正しい」がハーベイロードの前提(エリートは常に正しい!)に基づく怪しい正しさだと、著者はブキャナンの公共選択に代弁させています。

さて、ケインズ後の経済論壇こそが、この本のハイライト。ハイエク、フリードマン、ブキャナンと、新自由主義(シカゴ学派)の登場です。彼らも、個々に問題を掲げ、解決を図ります。
ハイエクにとっての問題 = 集産主義
フリードマンにとっての問題 = スタグフレーション
ブキャナンにとっての問題 = 財政赤字

ハイエクは、自然な秩序への信頼によって問題解決を図ります。エリートによる社会工学的な解決方法に対立する考え方です。
フリードマンは、スタグフレーションのメカニズムを解明します。
ブキャナンは、ケインズ的処方は必然的な(財政の)偏りを生むと解きます。
ハイエクは『民主主義は自由において平等を求めようとする。社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとする。」まで書き、ケインズ的な大きな政府による統制は隷属であるとまで言ってのけます。
この章は、ケインズ経済学に対する強烈な批判が込められています。

本書の著者である竹中平蔵は、「小泉改革」に際して経済財政政策大臣に就任し、民営化推進や公共事業の縮小などインパクトのある経済政策の先頭に立ってきました。この本が書かれたのが2010年。リーマンショック後に民主党が政権を取っていた時代です。財政赤字か急拡大し、自分がやってきた「改革」が水泡と帰す危機を感じていたのではないでしょうか。なので、ケインズ経済学は万能ではなく、今こそ自由主義に立ち返ってほしい思いが本書に現れているような気がします。

のちに、日本経済史において小泉改革はなんだったのかという評価がなされると思います。その時に、それぞれの内閣が解決しようとしてきた問題は、そして解決の手法はを考える時に、著者=政策立案者の思いを振り返ることができる面白い本なのではないでしょうか。


KIndleUnlimitedの本は変な自己啓発書かエロい本ばかりかと思っていましたが、本書のように読み応えのある本も探せばあるのですね。アンリミ、もう少し活用しなきゃ。

| | コメント (0)

2017.07.14

『そこのみにて光輝く』

佐藤泰志の小説が原作。

鉱山の仕事に失敗し、世の中から逃げて日々を過ごす達夫。仮出所し両親、姉とバラックで過ごす拓児。そして、拓児の姉の千夏。遁世を送る達也と、再貧困の生活を送る千夏・拓児姉弟の関わりが、重く描かれる映画でした。

鉱山の仕事で活躍する現実世界に戻ろうとする達夫と、再貧困の現実世界からの脱出が図れない千夏・拓児。この人間の組み合わせが、悲劇に悲劇が重なる重く暗いストーリーを織り成します。一縷の望みを描き、それを破壊する物語の酷さに胸が痛む。この世界に希望なんかない、幸福なんか絶対に訪れないという気分にさせられる。

最後のシーン、二人を照らす朝日が、人生の希望を連れてくる光だと信じて幕を閉じる。


| | コメント (0)

2017.07.05

『清須会議』

三谷幸喜の映画作品。Amazonプライムビデオにあったので、自宅で鑑賞。

織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、織田家の跡取りをどうするかを決める「清須会議」が舞台。羽柴秀吉と柴田勝家の駆け引きが映画の主題です。

三谷映画だけあってコメディ仕立てですが、史実に沿う必要があるのが制約なのでしょうか、あまりコメディに突っ走ることもできず、だからと言って人間ドラマに徹することもできず、中途半端な位置付けに終わってしまってるかな、というのか印象。

歴史の主役に躍り出そうになりつつ権力闘争に敗れた柴田勝家が気になりますね。あとでWikipediaじっくり読もう。

清須会議(映画.com)

| | コメント (0)

2017.07.01

『組織戦略の考え方』

組織論の新書。Kindle版を購入して読みました。

文体が軽く、内容も系統立てて緻密に論理を組み立てるのではなく、感覚論が多い。タイトルに似つかわしくないなあ、組織論では有名な先生のはずなのに、と読み進めました。議論の緻密さはないものの、そのぶん平易な文章になっていて読み進めやすいですね。現実社会の組織について腑に落ちないところが、感覚的に納得できるようになります。

あとがきを見て、本書の文体に納得。雑誌「プレジデント」連載記事を主に単行本に仕立てたそうです。そりゃ、この軽い文体になるわ。

| | コメント (0)

2017.06.11

『あの会社はこうして潰れた』

信用調査会社の帝国データバンクのベテラン記者がまとめた、近年の企業倒産を類型別に集めて整理したもの。

過剰投資、営業不振など倒産事由はいろいろありますが、最近のトレンドは粉飾決算ではないでしょうか。本書でも、いくつかの事例が挙げられています。

気になるのが、じゃあ粉飾しなかったら倒産しなかったのだろうか?ということ。粉飾しなかったら問題なく経営継続できていた会社は少ないのではないだろうか?という疑問を持ってしまいました。実際には、粉飾により(ほんのちょっと)延命していた会社が多いのではと思ってしまいます。ただ、小さなキズだったものが、粉飾によりとんでもなく大きな致命傷になり、経営者は経営責任だけでなく刑事責任まで取らされるようになるというのはありますが。

いろんな倒産事例を見てて感じるのは、キチンと身の丈を知ることがいかに大事かということ。起業して回り始めれば経営者は成功体験で自信が付きますが、ここで勘違いせずに堅実な成長を目指すことが大事なのでしょう。

| | コメント (0)

2017.06.03

『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?』


将棋ソフト「ポナンザ」開発者の山本一成による、将棋ソフト開発の考え方を平易に解説した本です。

評価値のパラメータ調整が人の手によるものから機械学習によるものに変わってきた変遷、チェス・将棋・囲碁のコンピュータ思考の各々の壁、囲碁におけるディープラーニングによるAIの適用など、開発者の視点ならではの説明が、なるほどと思わせる。AIについてはここ最近たくさんの解説本が出ていますが、学者によるそれらの本に加えて本書を読むことで、AI台頭の時代を立体的に捉えることができると思います。

「黒魔術」の記述が特に興味深かった。何であれいい結果が出るんだから適用しとこうという考え。理屈が伴わず結果が出るものに対し拒否反応を示す人も多いと思います。将棋ソフトの世界はそうでなく「黒魔術」をどんどん採用していくコミュニティが成り立ってるんですね。

将棋や囲碁という盤上だけの世界(いわゆるサンドボックス)だけでAIを動かしている著者でも、AIの暴走をかなり気にしている様子が後半の文章からうかがえます。人間をゴリラと誤認識したり悪意のあるツイートを垂れ流すAIが少し前に話題になりましたが、将棋や囲碁は盤上にしか影響が及ばないので、かなり「安全」なAI適用なはずです。なのに暴走が気になるというのは、裏返すとAIの活躍の可能性が相当に大きいと著者は考えているんだと思います。

急激に伸張するAI。そういう時代の目撃者に我々はなっているのかもしれません。

| | コメント (0)

2017.05.30

『求道心』



神武以来の天才と言われ中学生の頃から70歳くらいまでトップ棋士として君臨した「ひふみん」加藤一二三九段の随筆です。

最近になって将棋ファンになった僕などから見たら単なるカワイイおじいちゃんですが、昔からの将棋ファンにとっては神様のような存在のはずです。

60年以上も棋界にいることで、様々なことを見てきたんだなと、本書を読んで感じます。将棋を愛し、将棋に没頭して送る人生、ステキだなと。

文章のあちこちで、加藤九段は随分と自信家だなあと感じるところがあります。この自信家の部分に実力が追いついているから怖いんですけど。

加藤一二三九段は昨年度にC級2組から降級し、引退が決定してしまいました。引退してなお、将棋界に常に新しい風を吹き込んでくれる大棋士です。今後はより自由な立場で活躍してくださることを期待しています。

| | コメント (0)

2017.05.28

『サピエンス全史』

人間が現在暮らしているこの世界はどのような経緯をたどって成り立っているか、そしてその中途にあった人間や現在の人間は幸福なのか。未来に訪れるであろう人間像は、倫理的にどうなのか。そういうことを疑問提起した書籍です。

日本で出版されて半年すこし経ち、出版時から徐々に書評などで評価が高まっていた本。いろんなところでそれだけ言われてるんだから読んどかなきゃなと思いつつ時間が経ち、ようやく読みました。なんだか『銃・病原菌・鉄』と対比されて表されることが多く、そういう文化論なのかなと思い読み始めたのですが、そうではなかったです。

なぜ数ある動物種の中で、しかもいくつかあった人類の中で、ホモ・サピエンスだけがこれだけ他者を寄せ付けない地位を築いたか。それを、本書では認知革命にあると説きます。現生人類のみが「想像」を行うことができる能力があると。その想像ゆえに、近接した他者だけでなく、もっと広い範囲の人間と協力体制を築けると。

そうやって狩猟採集生活に力を発揮するホモ・サピエンスの勢力範囲が広がり、そうして迎える農業革命。そこで、生産量は伸び、人口は増え、仕事は増えた。このことが、人類を幸福にしたか?が、本書の最大の疑問提起。定量的に測定すれば、幼児死亡率は減り、富の蓄積も可能となり、「幸福」となったのでしょうが、それが幸福なのかと。そして、家畜として有用な種(牛、鶏など)の個体数も激増したが、それらは小さな檻に閉じ込められている。これらの種は「成功」と言えるのか。直接的な表現はありませんが、著者は、農業革命後や産業革命後の人類の幸福は、しょせん檻の中で飼われている家畜の繁栄と同じではないかという印象を持っているのではないでしょうか。

昨今、人工知能が脚光を浴びていますが、これらシンギュラリティに結びつくのか。そしてシンギュラリティ後の人類は幸福になるのか。思い課題を提示した書籍です。

| | コメント (0)

2017.05.24

『午後8時の訪問者』


知らない誰かの死に対する、後悔。タイトルの「午後8時の訪問者」は、主人公が営む診療所に逃げ込もうと診療時間後にベルを鳴らしたところの描写。主人公が扉を開けなかったことにより「訪問者」は何らかの原因で死んでしまう。主人公は後悔の念に苛まれ、事件を追う。

サスペンスものだが、サスペンスものの派手さはない。徹底的に地味に映像を作っている印象だ。予告編にもある黒人に車を止めさせられるシーン、そのシーンを印象的にするためのコントラストだろう。

低所得者層の居住地区の診療所の医師という設定。登場人物の中で自分だけがエリートという立場。途中に出てくるセリフ「偉そうに」が、この立場を集約している。不法移民が多い社会を描いているが、それが物語の本線なのかもしれない。エリートが、誰ともわからない黒人女性を悼むという心だけで、なんとかストーリーが進む危うさを味わうのが、この映画の楽しみかもしれない。

| | コメント (0)

2017.05.06

『牯嶺街少年殺人事件』


1960年頃の台湾を舞台にした映画。この頃はまだ中国本土の共産党政権樹立と国民党の集団移住が記憶に新しい頃で、主人公の両親もいわゆる外省人の公務員。

主人公の少年、小四の中学受験失敗による親のわだかまり、夜間学級通学による不良たちとの付き合いを、ゆっくりと描いてゆく。途中の激しい展開にドキドキするが、それはあくまでも物語に厚みを増すための伏線。長い上映時間のほとんどは、じわじわとした青春群像劇。結局、タイトルにもなっている「殺人事件」も淡々と描かれ、観後感に置いていかれるエンディングでした。

この映画、1990年頃に、1960年頃の台湾を描いた映画です。1960年頃は日本も戦後復興期であり混乱の最中であっただろうが、台湾も国民党・外省人が大挙して押し寄せ社会階層が大きく変わる大混乱期だったかと。上海近郊出身の外省人公務員(当時の台湾のエリート層なのだろうか?)を父に持ち、自分は受験に失敗して夜学に行く中学生。この社会的立場はそうとう不安だったろうと思う。1960年の台湾の世相が気になる。

スクリーンに描かれるセット、小道具で日本統治の面影を多分に感じさせる。日本家屋、日本刀、短刀。日本が台湾を統治するためのインフラを国民党が利用したのか、日本家屋が外省人の住まいになっていて、日本人でもノスタルジーを感じる映像となっているところも興味深い。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧