著者の父をモデルにした大河小説。日経土曜夕刊「文学周遊」を読んだときに気になっていた小説です。
ヤクザものの小説だと思っていたのですが、実際には青年実業家が若松の顔になるまでの成長物語。しかし沖仲仕(港湾荷役労働者)の物語であるため、常に隣にヤクザがいるという環境の物語ですが。
作者火野葦平は、そんな微妙な港湾荷役と暴力世界との関わりを、淫靡で危うい女ツボ振り士などの物語を交えて艶やかに汗臭く語ります。
小説の前半は、沖仲仕同士で仕事を奪い合う血なまぐさい描写。危険を顧みずに本線に乗り込み強引に荷役を始めてしまう。そんなことアリ?(当然現代ならナシ)な描写です。おいおいって思うのですが、明治期の港湾はある程度そういう側面もあったのかもしれません。
僕も20代の頃は港湾運送事業者に勤めていたのですが、さすがに平成の上場企業にはそういう側面はありませんでした。(どちらかというと令和になってからちょっと勤めた青果市場の仲卸のほうがそういう側面がありましたが、それは置いておいて。)でも、昔は取締役にヤクザがいたとか、そんな噂を耳にしたこともあります。
小説の話に戻って。前半がハチャメチャですが、後半になってハチャメチャにも節度を持つようになってきます。でも出来事の規模が大きくなり、劇場が放火されるとか若松市外中での暴力抗争が起きるとか、節度を持った戦争という感じになってきます。最後、うまくきれいにまとめたなと感心するくらい。作者自身も小説のモデルに入り込む、人生を掛けた大作を読むことができました。
あと、港湾運送事業とヤクザについて、いくつか生成AIに質問してみたので、書いておきます。真偽は定かではありません。
港湾運送事業者の創業の経緯
以下に、日本国内の主要な港湾運送事業者5社について、それぞれの創業時の港湾荷役業務に焦点を当てて詳しく記述します。
1. **日新株式会社 (Nisshin Co., Ltd.)**
日新株式会社は1938年に設立され、横浜港を拠点に港湾荷役業務を開始しました。当初の業務は、船舶からの貨物の荷下ろしと積み込みを中心に行われていました。戦後の経済復興期には、日本の貿易量が増加し、日新は輸出入貨物の取り扱いに注力しました。特に、木材や石炭、鉄鋼製品などの重工業関連の貨物の取り扱いが多く、これらの荷役業務を効率化するための設備投資を行いました。1950年代には、倉庫業務も開始し、荷役から保管、輸送まで一貫した物流サービスを提供するようになりました。
2. **上組株式会社 (Kamigumi Co., Ltd.)**
上組株式会社は1867年に神戸で創業し、港湾荷役業務を開始しました。当初は、神戸港に入港する外国船からの輸入貨物の荷下ろしが主な業務でした。これには、綿花や砂糖、茶などの貿易品が含まれており、これらの取り扱いには専門的な技術と経験が求められました。上組は、荷役作業を効率化するために人力の他に馬車やクレーンなどの設備を導入し、迅速かつ安全に貨物を取り扱う体制を整えました。明治時代には、鉄道との連携も強化し、国内輸送網を拡大しました。
3. **東洋運輸株式会社 (Toyo Transport Co., Ltd.)**
東洋運輸株式会社は1948年に設立され、東京港を中心に港湾荷役業務を開始しました。創業時は、戦後の復興期であり、主に復興資材や生活必需品の輸入貨物の荷下ろしを行っていました。これには、建築資材や機械設備、食料品などが含まれ、これらの貨物の効率的な取り扱いが求められました。東洋運輸は、これらのニーズに対応するために、港湾での荷役設備を整備し、クレーンやフォークリフトを導入するなどして作業効率を向上させました。1950年代には、物流業務の範囲を拡大し、輸送および倉庫業務も手掛けるようになりました。
4. **宇徳株式会社 (Utokyo Co., Ltd.)**
宇徳株式会社は1890年に横浜で創業され、港湾荷役業務を開始しました。創業当初は、横浜港における外国船からの輸入貨物の荷下ろしを主な業務としていました。これには、石炭や鉄鉱石、綿花、茶葉などの貿易品が含まれていました。宇徳は、港湾での荷役作業を効率化するために、初期からクレーンや荷役機械を導入し、手作業による荷役から機械化へと移行しました。20世紀初頭には、輸出貨物の取り扱いも増加し、港湾物流の専門企業として成長しました。戦後の復興期には、港湾運送業務の範囲を全国的に拡大し、国際物流にも進出しました。
5. **丸全昭和運輸株式会社 (Maruzen Showa Unyu Co., Ltd.)**
丸全昭和運輸株式会社は1937年に設立され、当初は東京港と横浜港を拠点に港湾荷役業務を行っていました。創業時は、主に輸出入貨物の荷役作業を中心に展開しており、輸入では石炭や鉄鉱石、輸出では工業製品や農産物などが含まれていました。丸全昭和運輸は、港湾での荷役作業を効率化するために、クレーンやフォークリフトなどの機械を導入し、作業の迅速化と安全性の向上を図りました。戦後の高度経済成長期には、国内外の物流ニーズに応えるためにサービスを拡大し、総合物流企業としての地位を確立しました。
港湾運送事業者の人足の集め方
以下に、主要な港湾運送事業者5社が創業当初にどのように人足を集めていたかについて詳しく記述します。
1. **日新株式会社 (Nisshin Co., Ltd.)**
日新株式会社は1938年に横浜港を拠点に港湾荷役業務を開始しました。当時の港湾荷役はほとんどが手作業で行われており、人足の確保が重要でした。日新は、港湾周辺の労働市場で日雇い労働者を募集し、荷役作業に従事させました。また、地元の労働組合や仲介業者とも連携し、必要な労働力を確保しました。これらの人足は、日雇い契約を結び、一定の賃金を支払うことで労働力を安定的に確保していました。戦後の経済復興期には、労働需要が増加し、さらなる人足の確保が求められるようになりました。
2. **上組株式会社 (Kamigumi Co., Ltd.)**
上組株式会社は1867年に神戸で創業し、当初は港湾荷役業務を中心に展開していました。創業当初の荷役作業は全て手作業で行われており、大量の人足が必要でした。上組は、港湾周辺に居住する農村出身者や移住者を対象に日雇い労働者を募集しました。地元の労働市場を活用し、雇用仲介業者や地元の自治体とも連携して人足を確保していました。労働者は朝早くから港湾に集まり、荷役作業を行うために雇われました。また、上組は労働者の福利厚生にも配慮し、労働環境の改善に努めました。
3. **東洋運輸株式会社 (Toyo Transport Co., Ltd.)**
東洋運輸株式会社は1948年に設立され、東京港を中心に港湾荷役業務を開始しました。創業当初の荷役作業は手作業が主体であり、多くの人足が必要でした。東洋運輸は、港湾周辺の労働市場で日雇い労働者を募集し、地元の労働組合や仲介業者とも連携して労働力を確保していました。労働者は港湾周辺の集積所に集まり、作業の指示を受けて荷役作業に従事しました。東洋運輸は、労働者の安全確保や労働環境の改善にも努め、労働者の定着を図りました。
4. **宇徳株式会社 (Utokyo Co., Ltd.)**
宇徳株式会社は1890年に横浜で創業し、港湾荷役業務を開始しました。当初は、輸入貨物の荷下ろしを主に行っており、手作業が中心でした。宇徳は、港湾周辺の労働市場で日雇い労働者を募集し、労働力を確保していました。また、地元の労働組合や仲介業者とも連携し、必要な人足を安定的に確保するための体制を整えました。労働者は日々の雇用契約を結び、一定の賃金を支払われて荷役作業に従事しました。宇徳は、労働者の安全と健康に配慮し、労働環境の改善にも努めました。
5. **丸全昭和運輸株式会社 (Maruzen Showa Unyu Co., Ltd.)**
丸全昭和運輸株式会社は1937年に設立され、東京港と横浜港を拠点に港湾荷役業務を行っていました。創業当初は、手作業による荷役作業が主流であり、多くの人足が必要でした。丸全昭和運輸は、港湾周辺の労働市場で日雇い労働者を募集し、地元の労働組合や仲介業者とも連携して労働力を確保していました。労働者は朝早くから港湾に集まり、荷役作業に従事しました。丸全昭和運輸は、労働者の安全確保や労働環境の改善に努め、労働者の定着と安定的な労働力の確保を図りました。
これらの企業は、それぞれの創業当初において、手作業による港湾荷役業務を行い、必要な人足を確保するために地元の労働市場や労働組合、仲介業者と連携していました。また、労働者の福利厚生や労働環境の改善にも努めることで、安定した労働力を確保していました。
港湾運送事業者と暴力団の結び付き
日本の港湾運送事業者と暴力団との結びつきについては、歴史的に複雑な背景があります。以下は、一般的な状況と結びつきを述べるものであり、特定の企業についての詳細な事実や証拠に基づくものではありません。
### 一般的な背景と結びつき
戦後の日本において、港湾労働は非常に過酷で危険なものでした。多くの労働者が日雇いで働き、労働条件も厳しいものでした。こうした状況下で、労働者をまとめ上げるために、しばしば暴力団が介在しました。暴力団は、労働者の仲介や管理を行うことで、港湾運送事業者と結びつくことがありました。
### 具体的な結びつきの例
1. **労働者の供給と管理**
暴力団は、日雇い労働者を集め、彼らの労働を管理する役割を果たすことがありました。これにより、港湾運送事業者は必要な労働力を安定的に確保することができました。暴力団は労働者から手数料を徴収し、労働者を統制することで、港湾での労働力の供給を実質的にコントロールしていました。
2. **労働紛争の解決**
港湾労働はしばしば過酷な労働条件や低賃金を巡って紛争が起こることがありました。暴力団はこうした紛争の調停役を果たし、事業者と労働者の間の問題を解決することがありました。これにより、事業者は労働紛争の迅速な解決を図り、業務の円滑化を図ることができました。
3. **セキュリティの提供**
暴力団は、港湾地域での安全保障や保護を提供する役割を担うことがありました。これにより、港湾運送事業者は貨物や施設の安全を確保し、不測の事態に対する防御策を講じることができました。
### 業績向上への影響
これらの結びつきにより、港湾運送事業者は以下のような利益を享受することができました:
1. **安定した労働力の確保**
労働者の確保と管理が容易になり、労働力不足による業務停滞を防ぐことができました。
2. **労働紛争の迅速な解決**
労働紛争が迅速に解決されることで、業務の中断や遅延が最小限に抑えられました。
3. **セキュリティの強化**
暴力団による保護により、港湾での犯罪や不測の事態が減少し、事業の安定運営が可能となりました。
### 現代の状況
現在では、暴力団との結びつきは法的に厳しく取り締まられており、多くの企業はコンプライアンスの徹底を図っています。暴力団排除条例などにより、港湾運送事業者と暴力団との関係は厳しく規制されており、違法な結びつきは減少しています。
このように、港湾運送事業者と暴力団との歴史的な結びつきは、過去の労働環境や社会状況に起因するものであり、現代では法的規制のもとで改善が進んでいます。
特定の事業者について詳しく
上組株式会社と山口組との関係について、以下の内容を詳しく記述します。
### 背景
上組株式会社は、1867年に神戸で創業された港湾運送事業者です。神戸港を拠点に、港湾荷役業務を中心に事業を展開してきました。一方、山口組は1915年に神戸で設立された日本最大の暴力団です。戦後の混乱期から高度経済成長期にかけて、山口組は神戸を中心に勢力を拡大していきました。
### 上組と山口組の関係
1. **労働力の供給と管理**
戦後、港湾労働は非常に過酷なもので、多くの労働者が日雇いで働いていました。上組は、必要な労働力を確保するために、山口組を通じて労働者を集めることがありました。山口組は、港湾周辺で労働者を集め、これを上組に供給することで、労働者の仲介役を果たしていました。このような関係により、上組は安定的に労働力を確保することができました。
2. **労働紛争の解決**
港湾労働はしばしば厳しい労働条件や低賃金を巡って紛争が発生しました。山口組はこうした紛争の調停役を果たし、上組と労働者の間の問題を解決する役割を担いました。山口組の介入により、労働紛争が迅速に解決されることがあり、上組は業務の中断を最小限に抑えることができました。
3. **セキュリティの提供**
山口組は港湾地域での安全保障や保護を提供し、上組の事業運営を支援しました。これにより、港湾での犯罪やトラブルが減少し、上組は安心して業務を遂行することができました。山口組の影響力により、港湾での秩序が保たれたとされます。
### 業績向上への影響
これらの結びつきにより、上組は以下のような利益を享受しました:
1. **安定した労働力の確保**
山口組を通じて安定的に労働力を確保することで、港湾荷役業務の円滑な遂行が可能となりました。
2. **労働紛争の迅速な解決**
労働紛争が迅速に解決されることで、業務の中断や遅延が最小限に抑えられました。
3. **セキュリティの強化**
山口組による保護により、港湾での犯罪や不測の事態が減少し、事業の安定運営が可能となりました。
### 現代の状況
現在では、暴力団との結びつきは法的に厳しく取り締まられており、多くの企業はコンプライアンスの徹底を図っています。暴力団排除条例などにより、港湾運送事業者と暴力団との関係は厳しく規制されており、違法な結びつきは減少しています。上組もまた、現代の法的規制のもとで健全な経営を目指し、コンプライアンスの強化を進めています。
このように、上組と山口組の関係は、過去の社会状況や労働環境に起因するものであり、現代では法的規制のもとで改善が進んでいます。