『多摩ニュータウン物語 − オールドタウンとは呼ばせない』
首都大学東京(現東京都立大学)建築学科研究室による多摩ニュータウン研究の本です。2012年出版という出版時期に注意して読みます。
多摩ニュータウンの住区はCAペリーの唱えた近隣住区論64ha6千人の倍、100ha12〜20千人という規模で組まれたのですね。中学校を維持する規模の街区という日本独自の事情によるものなのでしょうが。(はるひ野は80ha8千人とCAペリーの住区に近いですね。)多摩ニュータウンは多くの住区に分かれていて、住区ごとに開発時期が違います。身近なところだと、諏訪・永山地区は1970年頃の入居が始まって半世紀が経ちますが、若葉台地区は2000年頃の入居でありまだ四半世紀しか経ていません。たった20〜30年の差ですが、高度成長期からバブル崩壊を経て社会状況も大きく変わっていて、住居や街に求めているものも変化しています。しかし街というのはそう柔軟に姿を変えられるものでなく、その形で時代の変遷を迎えなければいけません。
多摩ニュータウンの大きな特徴が、車歩分離による長大なペデストリアンデッキ。谷戸に車道を通し尾根に歩道を通す立体的な都市構造です。歩行者に優しい設計で素敵と思っていたのですが、高齢者にとってバス停にアクセスしづらいという難点があるのですね。確かに、バス道は団地から長い階段を降りた先にあることが多いです。本書が書かれた2012年頃でも問題になっているこの事象、14年が経った現在ではどのようになっているのでしょうか。
多摩ニュータウンの規模になれば、地域活動も大型化します。福祉亭やなかよし文庫の活動が住民内部から発生しているということは喜ばしいことだと思います。おそらく多くの人が地域活動に手を貸してみたいし、そして地域活動のお世話になれればいいなとも思っているのではないでしょうか。本書では成功事例の取り上げだけですが、実際には失敗事例もあり、失敗に揉まれながら成功に辿り着いた事例もあるんだろうと想像します。
息子が幼稚園に通い出した2009年あたりにはすでに廃れている姿を見せていた諏訪・永山名店街。当時既に生鮮はほぼなくなっていて、飲食店舗もどんどん閉店が進んでいました。増えていく空き店舗の中に登場する福祉系スペース。URと福祉系スペースがどのような関係で立地できているのかよくわからないのですが、買い物はどうしても駅前大型店舗の勢力が大きく、苦戦するのは仕方なさそうです。駅前までの移動手段の確保と、近隣での住民の居場所の確保、うまくピースがはまるといいなと思います。
諏訪二丁目団地はたった40年で建て替えになりましがが、多摩ニュータウンの大量の建築物が、これからのストックマネジメントの資産となり、世代交代しながら賑わいを維持していってほしいですね。











