2026.09.07

『多摩ニュータウン物語 − オールドタウンとは呼ばせない』

首都大学東京(現東京都立大学)建築学科研究室による多摩ニュータウン研究の本です。2012年出版という出版時期に注意して読みます。
多摩ニュータウンの住区はCAペリーの唱えた近隣住区論64ha6千人の倍、100ha12〜20千人という規模で組まれたのですね。中学校を維持する規模の街区という日本独自の事情によるものなのでしょうが。(はるひ野は80ha8千人とCAペリーの住区に近いですね。)多摩ニュータウンは多くの住区に分かれていて、住区ごとに開発時期が違います。身近なところだと、諏訪・永山地区は1970年頃の入居が始まって半世紀が経ちますが、若葉台地区は2000年頃の入居でありまだ四半世紀しか経ていません。たった20〜30年の差ですが、高度成長期からバブル崩壊を経て社会状況も大きく変わっていて、住居や街に求めているものも変化しています。しかし街というのはそう柔軟に姿を変えられるものでなく、その形で時代の変遷を迎えなければいけません。
多摩ニュータウンの大きな特徴が、車歩分離による長大なペデストリアンデッキ。谷戸に車道を通し尾根に歩道を通す立体的な都市構造です。歩行者に優しい設計で素敵と思っていたのですが、高齢者にとってバス停にアクセスしづらいという難点があるのですね。確かに、バス道は団地から長い階段を降りた先にあることが多いです。本書が書かれた2012年頃でも問題になっているこの事象、14年が経った現在ではどのようになっているのでしょうか。
多摩ニュータウンの規模になれば、地域活動も大型化します。福祉亭やなかよし文庫の活動が住民内部から発生しているということは喜ばしいことだと思います。おそらく多くの人が地域活動に手を貸してみたいし、そして地域活動のお世話になれればいいなとも思っているのではないでしょうか。本書では成功事例の取り上げだけですが、実際には失敗事例もあり、失敗に揉まれながら成功に辿り着いた事例もあるんだろうと想像します。
息子が幼稚園に通い出した2009年あたりにはすでに廃れている姿を見せていた諏訪・永山名店街。当時既に生鮮はほぼなくなっていて、飲食店舗もどんどん閉店が進んでいました。増えていく空き店舗の中に登場する福祉系スペース。URと福祉系スペースがどのような関係で立地できているのかよくわからないのですが、買い物はどうしても駅前大型店舗の勢力が大きく、苦戦するのは仕方なさそうです。駅前までの移動手段の確保と、近隣での住民の居場所の確保、うまくピースがはまるといいなと思います。
諏訪二丁目団地はたった40年で建て替えになりましがが、多摩ニュータウンの大量の建築物が、これからのストックマネジメントの資産となり、世代交代しながら賑わいを維持していってほしいですね。
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2026.07.20

『AIエージェントの教科書』小澤健祐

生成AIブームが一段落し、次はAIエージェントとかフィジカルAIとかがやってくるようです。勤務先は物理的なマテリアルを扱わない業態なので、フィジカルAIは脇に除けておいて、AIエージェントですね。情報システム部員には無縁だと知らない振りをしていましたが、だんだんそうもいかなくなり、3連休の課題図書にしました。とっても、野球大会運営や町内会夏祭りの準備の合間での読書ですが。
通し読みして、大反省したことがあります。AIは自律的だしあいまいな対象を扱えるしなので、扱うデータもありものでいいし、運用ルールの揺らぎだってAI側で吸収してくれるんでしょという甘い考えを持っていたことです。本書を読むと、データは時系列、ログ、コンテキストデータ、マスタデータをそれぞれ体系的にまとめるべしという、まるでERP導入の準備みたいなことを言われます。そして、綿密な業務分析。導入の戦略立案から組織整備。こんなの、基幹システム更改やERP・SFA・CRM導入のような、古典的なシステム導入とほぼ同一手順です。AIは何か特別なものという考えは捨て去って、今までの情報システム導入の次のツールが登場した程度に思って、今まで通りにきちんと手順を踏んで導入しなければいけない。AIがユートピアに連れて行ってくれるわけでないことが本書で痛感しました。一歩一歩きっちりと歩んで、ゴールに向かいます。
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2026.07.04

『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ

人との距離感の取り方を考えてみます。人によって、ちょうどよくて心地いい距離感はバラバラです。自分が相手に感じている距離感と相手が自分に感じている距離感も違っています。そんなわけで、正しい距離感なんて実は存在しません。突拍子もないことを語られて、それが相談なのか通告なのかは、相手が自分に感じている距離感を理解していないと判断できません。そもそも自分が相手のことを理解しようと思っていても、相手が自分に理解してほしがっているのかすらわからないのです。今までと同じ世界で大人しく昨日までと同じように生きていくなら、人との距離感の取り方には苦労しません。現在実際に存在する距離感は時間をかけて関係者間でバランスのよい地点を探って見出したところなのですから。しかし、新しい世界に入るとなると、距離感を取るのは極端に難しくなります。新しく飛び込んだ世界がどのようなルールで成り立っているのかを理解するのにも時間がかかりますし、そこに既にいる人たちがどんな距離感を望んでいるかなんてことも分かりません。時間をかけて手探りでバランス点を見出すのですが、それまでの調整の時間は、軋轢の時間でもあります。
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2026.06.27

『マディソン郡の橋』ロバート・ジェームズ・ウォラー

人生のなかの刹那、交わることのない糸と糸がほんの少し触れて発火しそうに熱くなります。このまま絡みついて燃え殻になってしまうか、強い意志で引き離して、交わることのないように細心の注意を払うか。
何も破壊せず、何も触れなかったように振る舞うこと。それは、発火すると自分だけでなく周囲も巻き込むこと、周囲への愛情も備わっていること、周囲との関係にも責任があることからです。そして、相手がそのように振る舞うことへの配慮も愛なのです。引き離すことが相手の幸せになる。熱かった刹那は心の奥底にしまっておく。誰も傷つけないですむようになるまでは。その奥底に流れた、長い時間を思います。
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2026.06.15

『ミルク・アンド・ハニー』村山由佳

手に入れるまでの過程は刺激的です。欲しいものに対し身を滅ぼすほどの力を注ぎ、なりふり構わず手に入れる。しかし、手に入れてしまうとつまらなく思えてしまう。せっかく手に入れたんだから大切にしなよと他人は言うでしょうし、自分でもわかっているのです。でも、つまらないものはつまらない。冷酷になり、人をさんざん傷つけることを繰り返してしまいます。寄り添うように、相手の心をえぐっていく。しかし、自分が傷つけられている振りをして、そしてボロボロになって枯れ果てていくのです。それが幸福なのでしょうか。それとも幸福を削いでしまっているのでしょうか。そんな簡単に結論が出るものではありません。
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2026.06.14

『ビジネスZEN入門』松山大耕

禅宗は、シンプルな生き方を追求する宗教なのでしょうか。きっと、本質以外は雑音だと考えているのでしょう。何かの目的で行動をするのではなく、行動することそのものを目的に置く。損得や勝負から逃れると楽になることはわかっています。しかし、逃れることはとても難しいこと。強い意志がないと逃れることはできません。この難しさはきっと禅宗の創始者や伝道者もわかっていることで、だからこそ強く説くのでしょう。家の中ではスマホ・テレビ、外に出ると広告・サイネージ。雑音だらけの世の中なので、集中する力を付けることの価値はとても高そうです。Img_6414

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2026.06.13

『カフェーの帰り道』嶋津輝

戦前戦後、東京下町の場末。この頃に生きた女性の立ち位置は、なかなか難しいものではないでしょうか。政治は近代化してジェンダーの壁は徐々に崩れつつありますが、経済や戦争は男性を中心に回っていて、女性には女性の職業がある。カフェーの女給という仕事も、女性の職業の一つ。女給の位置付けも幅広く、食堂のホールで食べ物を運ぶ仕事から、ほぼ性風俗の従業員まであります。それらをひっくるめて、女性独特の仕事という目で見られていたのだと思います。自らの意志で働きに出る女性は、なんとなく不安定な場所にいる。そして、時代の流れに翻弄されやすい。それゆえ、華やかさではなく哀愁を感じる存在です。都会に生きることって、華やかでもなくみすぼらしくもなく、すき間に小さく咲く一輪の花のようなもの。通り過ぎる人にとっては単なる雑草かもしれませんが、足を止めて顔を近づけた人には、咲いた場所、季節、花弁の色それぞれの個性と物語を伝えてくれるものです。場末のカフェーの女給は、そういう存在なのでしょう。
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『PRIZE』村山由佳

小説などの書籍は、作家・著者と編集が二人三脚で作り上げていくと聞いたことがあります。しかし、作家と編集は並列ではなく、作品は作家のもの。協業の成果は作家の名のもとに世に出ることになります。編集は、作家の仕事が書籍という製品になるための仕事をする役目です。作家にはクリエイティブ能力が求められ、編集にはビジネス能力が求められます。立場も求められる能力も違う二人が並走して一つの作品を作り上げていく。編集にとって、作家との間に取るべき距離感を掴むのも、とても難しいのでしょう。編集はあくまで編集という立場から作家と接しなければなりません。そうとわかっていても、切羽詰まった状態で正しい立ち位置にいられるか。責任、プライド、功名心、いろんなことに惑わさされて、人は立ち位置を間違えるものなのです。
立ち位置を誤らせる要素の一つとして、カリスマ性があります。トップ作家となれば大いなるカリスマ性を纏います。自分の生み出すものは力を持ち、その力で人々を動かすことができる。それでも、本書の主題にある文学賞は自らの力で動かすことができません。もどかしい。壁にぶつかって喘ぐ人間の醜さが露呈します。そうして、カリスマの立場で凡人の伴走者にすら縋ってしまうのです。そう、カリスマを持つ者の奢りは、切羽詰まった時に狂気を呼び起こします。カリスマに支配されている人は、その狂気を最も恐れます。狂気に至らないよう防波堤になる者、狂気に押し潰されてしまう者、狂気に果敢に挑む者。カリスマに支配されていない安全な場所から見ている本書の読書から見ると滑稽ですが、滑稽だとは言い切れない引っ掛かりを小説の文章の中に巧みに散りばめられています。
これから本書を読む人にはカリスマの脆さ、弱さ、狂気をたっぷり味わって頂きつつ、カリスマに支配されたものの責任が重い読後感を抱えてもらいたいです。
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2026.06.09

『歌集 短歌の秋 2023』

Kindle Unlimitedでおすすめされた短歌雑誌です。角川短歌や短歌研究と違って、フランクと言うか、カジュアルと言うかといった構成の雑誌です。文学性を重んじる作風ではなく、SNS受けを狙う作風の短歌が多いでしょうか。感覚の深さに取り組みのではなく、鋭い感覚をあっけらかんと語ったり、突拍子もないことを言ってみて読者を驚かせることを楽しむ作品も多いですね。こういう作品を取り上げる場所があることで、単価の世界も歴史ある結社誌だけでない多様性が広がるのだと思います。
どのような人が、どのような短歌を詠むのか。そして詠まれた短歌をどのように鑑賞するのか。結社誌だけでない詠む〜読むの経路があるのがいいですね。こういう文学フリマ的な短歌雑誌にたまに寄り道するのも、いい刺激になります。SNSによる短歌ブームのその先にあるような、そんな短歌雑誌でした。Img_6145

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2026.06.04

特別展 百万石!加賀前田家

前田家は武家。美術品コレクションも、武家の意識が強いのでしょうか。書、茶、そして刀。美術展に行くと刀剣の展示に出会うことが度々あります。美しいと思い眺めることも多いですが、刀剣の個性がわからないのが事実。

加賀前田家展第三章の展示室の奥に、他の刀剣に比べて圧倒的な存在感で場を支配している刀がありました。大きさも光沢も他の刀と変わらないのですが、それでもなぜか強い存在感。その存在感の理由は近付いてもわかりません。「太刀 銘 光世作」という国宝指定の刀剣でした。

他にも国宝だらけの展示会でしたが、光世に全ての感想を奪われてしまいました。

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