岩瀬・伏木
2026年3月中旬に富山を訪れた記録を何回かに分けて。
富山市電の北側、日本海側の終点は岩瀬浜というところです。ここには富山港があります。近代的な地方港ですが、江戸時代は越中富山藩の外港として開発されて北前船の寄港地として発展した歴史ある街です。しかし、平日の午後に降り立った岩瀬浜駅周辺の光景は寂しく、単に地方都市の郊外でした。ぱっと見は1時間に1本程度のバスだけが来るようなバス路線の終点のような場所ですが、市電の高頻度交通が整備されているのは素晴らしいです。

岩瀬浜駅から岩瀬運河をわたり神通川のほうに歩いていったところが、岩瀬の旧市街地。その西側の神通川(正しくは富岩運河)沿いが、富山港です。埠頭脇に展望塔があり、階段がたいへんですが登ることができます。最上階には立山連峰の姿を収めるシャッターチャンスを狙っているカップルがいました。ここからは富山市街地越しの立山連峰が見られる撮影スポットなんですね。港の方に目を移すと、車両運搬船が停泊していて、ヤードにはたくさんの乗用車が並べられています。あとで喫茶店に入った時にママに聞いた話だと、ウクライナ紛争が始まってから荷物が止まってしまっているとのこと。国際情勢が地方港で目に見える形になっています。

越中地方で近世に岩瀬と並び栄えた港が伏木。この地は古代から越中の中心地とみなされていたのか、越中から能登を切り離した際に、越中の国府が置かれました。現在の勝興寺が国府として比定されているようです。勝興寺の門前通りに可愛らしい洋風建築があります。伏木測候所。伏木港の近代化、汽船就航で気象観測の必要性が高まり、伏木の船会社が開設したものがもとになっているとのこと。現役の観測所でありつつ、近代観測所設備の博物館にもなっています。日本の産業近代化には、このような裏で技術的に支える人々や設備が必要だったのですね。

越中一之宮である気多大社も伏木にあります。神社に登る階段からは富山湾が一望でき、この視界を中世の人々は重宝したのでしょうか。越中国府開設初期に国司として赴任したのが大伴家持。そのおかげで万葉集には大友家持が詠んだ越中の和歌が多く収載され、伏木周辺は万葉集に詠まれたちとしての地域アピールが強く高岡市内の市電の愛称も「万葉線」となっています。岩瀬と伏木、富山県内の2つの港の歴史だけでも、かなり深いです。























