2026.07.20

『AIエージェントの教科書』小澤健祐

生成AIブームが一段落し、次はAIエージェントとかフィジカルAIとかがやってくるようです。勤務先は物理的なマテリアルを扱わない業態なので、フィジカルAIは脇に除けておいて、AIエージェントですね。情報システム部員には無縁だと知らない振りをしていましたが、だんだんそうもいかなくなり、3連休の課題図書にしました。とっても、野球大会運営や町内会夏祭りの準備の合間での読書ですが。
通し読みして、大反省したことがあります。AIは自律的だしあいまいな対象を扱えるしなので、扱うデータもありものでいいし、運用ルールの揺らぎだってAI側で吸収してくれるんでしょという甘い考えを持っていたことです。本書を読むと、データは時系列、ログ、コンテキストデータ、マスタデータをそれぞれ体系的にまとめるべしという、まるでERP導入の準備みたいなことを言われます。そして、綿密な業務分析。導入の戦略立案から組織整備。こんなの、基幹システム更改やERP・SFA・CRM導入のような、古典的なシステム導入とほぼ同一手順です。AIは何か特別なものという考えは捨て去って、今までの情報システム導入の次のツールが登場した程度に思って、今まで通りにきちんと手順を踏んで導入しなければいけない。AIがユートピアに連れて行ってくれるわけでないことが本書で痛感しました。一歩一歩きっちりと歩んで、ゴールに向かいます。
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2026.07.04

『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ

人との距離感の取り方を考えてみます。人によって、ちょうどよくて心地いい距離感はバラバラです。自分が相手に感じている距離感と相手が自分に感じている距離感も違っています。そんなわけで、正しい距離感なんて実は存在しません。突拍子もないことを語られて、それが相談なのか通告なのかは、相手が自分に感じている距離感を理解していないと判断できません。そもそも自分が相手のことを理解しようと思っていても、相手が自分に理解してほしがっているのかすらわからないのです。今までと同じ世界で大人しく昨日までと同じように生きていくなら、人との距離感の取り方には苦労しません。現在実際に存在する距離感は時間をかけて関係者間でバランスのよい地点を探って見出したところなのですから。しかし、新しい世界に入るとなると、距離感を取るのは極端に難しくなります。新しく飛び込んだ世界がどのようなルールで成り立っているのかを理解するのにも時間がかかりますし、そこに既にいる人たちがどんな距離感を望んでいるかなんてことも分かりません。時間をかけて手探りでバランス点を見出すのですが、それまでの調整の時間は、軋轢の時間でもあります。
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2026.06.27

『マディソン郡の橋』ロバート・ジェームズ・ウォラー

人生のなかの刹那、交わることのない糸と糸がほんの少し触れて発火しそうに熱くなります。このまま絡みついて燃え殻になってしまうか、強い意志で引き離して、交わることのないように細心の注意を払うか。
何も破壊せず、何も触れなかったように振る舞うこと。それは、発火すると自分だけでなく周囲も巻き込むこと、周囲への愛情も備わっていること、周囲との関係にも責任があることからです。そして、相手がそのように振る舞うことへの配慮も愛なのです。引き離すことが相手の幸せになる。熱かった刹那は心の奥底にしまっておく。誰も傷つけないですむようになるまでは。その奥底に流れた、長い時間を思います。
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2026.06.15

『ミルク・アンド・ハニー』村山由佳

手に入れるまでの過程は刺激的です。欲しいものに対し身を滅ぼすほどの力を注ぎ、なりふり構わず手に入れる。しかし、手に入れてしまうとつまらなく思えてしまう。せっかく手に入れたんだから大切にしなよと他人は言うでしょうし、自分でもわかっているのです。でも、つまらないものはつまらない。冷酷になり、人をさんざん傷つけることを繰り返してしまいます。寄り添うように、相手の心をえぐっていく。しかし、自分が傷つけられている振りをして、そしてボロボロになって枯れ果てていくのです。それが幸福なのでしょうか。それとも幸福を削いでしまっているのでしょうか。そんな簡単に結論が出るものではありません。
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2026.06.14

『ビジネスZEN入門』松山大耕

禅宗は、シンプルな生き方を追求する宗教なのでしょうか。きっと、本質以外は雑音だと考えているのでしょう。何かの目的で行動をするのではなく、行動することそのものを目的に置く。損得や勝負から逃れると楽になることはわかっています。しかし、逃れることはとても難しいこと。強い意志がないと逃れることはできません。この難しさはきっと禅宗の創始者や伝道者もわかっていることで、だからこそ強く説くのでしょう。家の中ではスマホ・テレビ、外に出ると広告・サイネージ。雑音だらけの世の中なので、集中する力を付けることの価値はとても高そうです。Img_6414

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2026.06.13

『カフェーの帰り道』嶋津輝

戦前戦後、東京下町の場末。この頃に生きた女性の立ち位置は、なかなか難しいものではないでしょうか。政治は近代化してジェンダーの壁は徐々に崩れつつありますが、経済や戦争は男性を中心に回っていて、女性には女性の職業がある。カフェーの女給という仕事も、女性の職業の一つ。女給の位置付けも幅広く、食堂のホールで食べ物を運ぶ仕事から、ほぼ性風俗の従業員まであります。それらをひっくるめて、女性独特の仕事という目で見られていたのだと思います。自らの意志で働きに出る女性は、なんとなく不安定な場所にいる。そして、時代の流れに翻弄されやすい。それゆえ、華やかさではなく哀愁を感じる存在です。都会に生きることって、華やかでもなくみすぼらしくもなく、すき間に小さく咲く一輪の花のようなもの。通り過ぎる人にとっては単なる雑草かもしれませんが、足を止めて顔を近づけた人には、咲いた場所、季節、花弁の色それぞれの個性と物語を伝えてくれるものです。場末のカフェーの女給は、そういう存在なのでしょう。
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『PRIZE』村山由佳

小説などの書籍は、作家・著者と編集が二人三脚で作り上げていくと聞いたことがあります。しかし、作家と編集は並列ではなく、作品は作家のもの。協業の成果は作家の名のもとに世に出ることになります。編集は、作家の仕事が書籍という製品になるための仕事をする役目です。作家にはクリエイティブ能力が求められ、編集にはビジネス能力が求められます。立場も求められる能力も違う二人が並走して一つの作品を作り上げていく。編集にとって、作家との間に取るべき距離感を掴むのも、とても難しいのでしょう。編集はあくまで編集という立場から作家と接しなければなりません。そうとわかっていても、切羽詰まった状態で正しい立ち位置にいられるか。責任、プライド、功名心、いろんなことに惑わさされて、人は立ち位置を間違えるものなのです。
立ち位置を誤らせる要素の一つとして、カリスマ性があります。トップ作家となれば大いなるカリスマ性を纏います。自分の生み出すものは力を持ち、その力で人々を動かすことができる。それでも、本書の主題にある文学賞は自らの力で動かすことができません。もどかしい。壁にぶつかって喘ぐ人間の醜さが露呈します。そうして、カリスマの立場で凡人の伴走者にすら縋ってしまうのです。そう、カリスマを持つ者の奢りは、切羽詰まった時に狂気を呼び起こします。カリスマに支配されている人は、その狂気を最も恐れます。狂気に至らないよう防波堤になる者、狂気に押し潰されてしまう者、狂気に果敢に挑む者。カリスマに支配されていない安全な場所から見ている本書の読書から見ると滑稽ですが、滑稽だとは言い切れない引っ掛かりを小説の文章の中に巧みに散りばめられています。
これから本書を読む人にはカリスマの脆さ、弱さ、狂気をたっぷり味わって頂きつつ、カリスマに支配されたものの責任が重い読後感を抱えてもらいたいです。
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2026.06.09

『歌集 短歌の秋 2023』

Kindle Unlimitedでおすすめされた短歌雑誌です。角川短歌や短歌研究と違って、フランクと言うか、カジュアルと言うかといった構成の雑誌です。文学性を重んじる作風ではなく、SNS受けを狙う作風の短歌が多いでしょうか。感覚の深さに取り組みのではなく、鋭い感覚をあっけらかんと語ったり、突拍子もないことを言ってみて読者を驚かせることを楽しむ作品も多いですね。こういう作品を取り上げる場所があることで、単価の世界も歴史ある結社誌だけでない多様性が広がるのだと思います。
どのような人が、どのような短歌を詠むのか。そして詠まれた短歌をどのように鑑賞するのか。結社誌だけでない詠む〜読むの経路があるのがいいですね。こういう文学フリマ的な短歌雑誌にたまに寄り道するのも、いい刺激になります。SNSによる短歌ブームのその先にあるような、そんな短歌雑誌でした。Img_6145

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2026.06.04

特別展 百万石!加賀前田家

前田家は武家。美術品コレクションも、武家の意識が強いのでしょうか。書、茶、そして刀。美術展に行くと刀剣の展示に出会うことが度々あります。美しいと思い眺めることも多いですが、刀剣の個性がわからないのが事実。

加賀前田家展第三章の展示室の奥に、他の刀剣に比べて圧倒的な存在感で場を支配している刀がありました。大きさも光沢も他の刀と変わらないのですが、それでもなぜか強い存在感。その存在感の理由は近付いてもわかりません。「太刀 銘 光世作」という国宝指定の刀剣でした。

他にも国宝だらけの展示会でしたが、光世に全ての感想を奪われてしまいました。

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2026.05.21

富山県文学史

富山県の文学館で主要なのは「富山県立高志の国文学館」と「高岡市万葉歴史館」でしょうか。高志の国とは、越前、加賀、能登、越中、越後(現在の福井県、石川県、富山県、新潟県)の大化の改新頃までの地域名でとても広大な地域を指しますが、高志の国文学館は富山県立博物館であり、取り上げるのも富山県です。
富山県の文学史で非常に重要な地位を占めるのが、奈良時代の歌人である大伴家持です。万葉集に非常に多くの和歌を残す歌人なのですが、その多くが越中国司として伏木に赴任した5年間の和歌。そのため、越中文学と大伴家持を切り離すことはできません。しかし、古代から近世にかけて、大伴家持以外に越中の文学が発展しなかったことも、高志の国文学館、万葉歴史館の展示の裏返しとして知ることになります。翌々考えたら、日本の古典文学のほとんどは京都で作られ、近世もほとんどが江戸か上方で作られたものなのですね。地方都市の文学史は難しいものがあります。大伴家持は奈良から突如現れたスーパースターなわけです。
近代になると、富山県出身の作家が現れます。しかし、富山県ゆかりの作家が富山在住のまま創作活動をしたわけでなく、東京に移住して創作活動を行っている事実もあります。まだ、地方都市からの文学発信は難しいのでしょうか。文学館の館長を務める室井滋さんも、滑川出身東京在住ですね。
私の故郷(兵庫県伊丹市中野)の郷土作家と思っていた宮本輝が郷土作家として高志の国文学館で展示してあることに驚き、そのあと納得しました。旅の行先に富山を選んだのは宮本輝『潮音』で越中富山の売薬人が描かれていたからですし、螢川の舞台も富山。文学館の説明を見ると、宮本輝は神戸出身であるものの小学生の一時期を富山で暮らしていて、富山ゆかりの作家なんですね。

高志の国文学館は旧富山県知事公舎跡地の博物館。庭も美しい。
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高岡市万葉資料館は伏木の勝興寺から少し山側に入った伏木を見渡せる丘の上にあります。
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