2024.06.18

『星の子』

 いわゆる「宗教二世」である中学生が、生きづらいながらも家族とともに生きてゆく物語。


宗教にはまっている両親との距離感、宗教に対して白い目で見ている世間との距離感。主人公ちひろの宗教への思いを描かないまま、宗教に関わる周辺の出来事のみを無表情に描く文体が不気味である。今村夏子の悪意であり、醍醐味でもあるのだろう。


周囲から見て、明らかに不遇な状況を描く。主人公がその状況を不遇だと思ってるのか否か、作品中で答えを出さないところが悪意。何を正解として読めばいいか、まったくわからない。幸福にも不幸にも正解はないのだ。


読者は、友人や先生が主人公を救ってくれと祈りながら読み進める。しかし、そんなものは救いにならないのだ。学校生活を全否定された主人公の感想は「片思いは終わった」と、ずれにずれまくっている。最初から救いなんか求めていないんだと、はっとする。


この小説の終わり方がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかもわからず、モヤモヤとしながらの読了となった。今村夏子の思惑通りにはまってしまっているのだろう。

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2024.06.16

荻窪

荻窪で歌林の会の東京歌会が開催されるので、その前に荻窪辺りを少し散策しました。

荻窪駅の少し南側を歩こうと思ったので、中央線荻窪駅まで行くのではなく、千歳烏山駅からバスに乗ることにしました。関東バス荻58系統という初めて乗るバスです。途中上高井戸一丁目から井の頭線高井戸駅までは環状8号線を通りますが、それ以外は狭い道路をかなり頑張って走ってるイメージです。

▼ 関東バス
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降りたのは荻窪二丁目。住宅街の中のバス停です。ここで降りた理由は地図アプリでこの歩道を見つけたから。

▼ 暗渠通路
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明らかに暗渠上の歩道なのですが、ここまで狭い水路をきちんと歩道として維持しているのが珍しいなと思います。歩いて行くと、水路合流地点だなあという場所もありました。

▼ 水路合流地点
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遠くには丘の上の建物的なものも見えますね。右側の工事中の部分は電源開発(J-POWER)の社宅跡地です。

▼工事現場横の暗渠通路からの遠景
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そのうち善福寺川にでます。橋の下にそこそこ大きな排水管があり、橋がかかるような道路も暗渠なんだなというのがわかります。

▼ 橋の下の排水管
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善福寺川から少し入ったところに工事中の公園があります。荻外荘(てきがいそう)という近衛文麿の旧宅。2024年12月を目標に復原工事が進行中です。

▼ 荻外荘の工事現場
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さらに住宅街を中に入っていったところ、少し斜面になっているところに「角川庭園」があります。こちらは角川書店創始者の角川源義の旧宅。杉並区の公園として開放されています。

▼ 前庭から旧邸
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▼ 芝生にネジバナです。手入れがよく行き届いているきれいな庭園です。
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▼ 書斎から庭園を望む
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ランチは近くのお蕎麦屋さん「玉川」で親子丼セット。ここは飲み屋としての性質のほうが強いでしょうか。お昼11時半頃でしたが、隣のテーブルでは飲み会をやっていました。

▼ 親子丼セット
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お昼ご飯を食べたあとは「大田黒公園」へ。音楽評論家の大田黒元雄氏の旧邸が杉並区の公園として開放されています。9000平米ほどの大きな屋敷跡地です。庭園内に高低があり、池泉回遊式庭園として立派に整備されています。たまに芝生開放があるようです。

▼ 入口のイチョウ並木
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▼ 園内の小川
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▼ 離れの洋館
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▼ 洋館の中からの景色
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大田黒公園を出て荻窪駅を目指しますが、またもや暗渠通路がありました。ここを歩いてみることに。塀から樹木が飛び出ていたり、なかなか味わい深い暗渠通路です。
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荻窪駅前に出てきました。歩道に設置してあるトランスボックスに俳句が。杉並区ちょっと頑張っているみたい。

▼ 俳句トランスボックス
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線路を超えて、北口側に出てきました。目的地に近づいたので、今日はこれまでです。歌会、がんばりましょう。

▼ 荻窪駅北口の光景
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2024.06.11

『或る「小倉日記」伝』

松本清張はミステリー作家として認識していたが、初期は文学小説を書いていたと知った。しかも『或る「小倉日記」伝』は芥川賞受賞作。


Kindleで買った本は短編集で、下記の短編小説が収められている。

・或る「小倉日記」伝

・父系の指

・菊枕

・笛壺

・石の骨

・断碑


どの作品も、主人公は真剣に一途だし、並ならぬ努力を重ねるが、孤独で残酷な物語である。一途なゆえに視野が狭くなり、自分や家族を追い込んでゆく人生を描いている。妥協を許さないがゆえに、不幸に嵌っているとも言えよう。


不幸な短編小説を読んで、自分は安全地帯にいて大丈夫だ、よかったという感想もあろう。しかし、この自分の安全は様々な妥協の結果だとも言える。まっすぐ不幸に突き進む主人公たちの潔さは、僕にはない。

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2024.05.25

『東京湾景』

2022年の10ヶ月間、芝浦埠頭の先の大田市場に通っていた。帰路、天王洲アイルから缶ビール片手に品川駅港南口まで歩くようなことも、よくやっていた。2023年からは晴海に通っている。事務所から少し歩くと、豊洲や台場が見える運河がある。ここしばらく、東京湾に縁がある。その東京湾を描いた小説に接した。概ねの舞台は品川駅港南口から品川埠頭あたりの港湾である。対岸の台場とは、世界が違って見える。大田市場と晴海のごとく。台場と品川埠頭はたった1キロ。なのに、印象としてとても遠く感じる。台場の会社員は、品川埠頭の労働者と住む世界が違うのだ。


違う世界に住むもの同士の接触は、匿名が似合う。そんな印象を涼子に受ける。港湾労働者の世界に、身体は飛び込んでも精神までは飛び込めないのだ。その、小さな(そして増幅していく)躊躇を、読者の胸を痛くするように著者は描いてくる。


美緒の一夜限りの不倫、亮介の教師との同棲。いずれもほんの少しイレギュラーな恋愛の形態である。何を隠した何を曝け出すか。恋愛というのは、そんな駆け引きなのか。

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2024.05.20

はるひ野やまざくらポケットパーク

調べのものをしていてはるひ野町内会のサイトを見たら「はるひ野やまざくらポケットパーク」という公園が掲載されているのに気付きました。恥ずかしながら、その公園の存在を知りません。地図を見ると5丁目のコモンヒルズの中にある公園です。2次造成時の提供公園かな?黒川1号線沿いではなく1本入ったところなので、存在に気付いていませんでした。
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はるひ野5丁目の中腹、黒川1号線(京王ガードをくぐって左に曲がる道)の中腹に上の写真の階段があるので、そこを登ったところにあるのが「はるひ野やまざくらポケットパーク」です。ベンチが2個だけある、小さな公園です。ベンチが災害時のカマドになるという、災害対応公園らしい。

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他に漏らしている公園はないか?と、はるひ野町内会サイトと川崎市サイトを確認です。

町内会サイト
丸山こもれび公園
黒川谷ツ公園
はるひ野ことり公園
黒川のぞみ公園
柳町いろどり公園
はるひ野ポケットパーク
海道ひだまり公園
クラスヒル小公園 (黒川池谷戸緑地隣接)
宮添みのり公園
黒川よこみね緑地
はるひ野5丁目公園
はるひ野やまざくらポケットパーク

川崎市サイト
黒川谷ツ公園
海道ひだまり公園
黒川のぞみ公園
はるひ野1丁目ポケットパーク(町内会サイトに掲載なし)
はるひ野5丁目公園
はるひ野ことり公園
はるひ野やまざくらポケットパーク
はるひ野ポケットパーク
丸山こもれび公園
宮添みのり公園
柳町いろどり公園
黒川よこみね緑地
黒川池谷戸緑地(クラスヒル小公園隣接)
黒川大谷戸緑地(町内会サイトに掲載なし、緑の会が管理)
黒川学舎緑地(町内会サイトに掲載なし)(立入不可)

比較すると
・クラスヒル小公園は川崎市道路公園センターでの扱いが微妙。池谷戸緑地の一部の扱いなのか、クラスヒル2次造成時に管理移管していないのか。
・はるひ野1丁目ポケットパークは川崎市サイトにあるがはるひ野町内会サイトに掲載なし。シンフォニア2次造成時の提供公園だと思われるが、町内会視点では宮添みのり公園と一緒の扱いなのだろうか。「管理運営協議会が管理しています」の看板が出ているので、何らかの管理組織はあるはずです。

ちなみに、はるひ野1丁目ポケットパークはエビフライが1個だけある小さな公園です。
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西光寺の雲龍図を見に行った

黒川にある禅寺「西光寺」。多摩線が鶴川街道を渡るときに山側に大きな釈迦如来像が見えるのでご存じの方も多いと思います。

この西光寺で、辰年の春と秋だけ、本堂の天井画「雲竜図」が一般公開されるとのことで、令和6年春の部が開催されています。予約をして、見に行ってきました。(すでに予約は満席で、秋の開催待ちになっています。)

1日5回×10日間、1回あたり40人という制限付きで、今春にこの雲龍図を見ることができるのは2,000人限定です。僕が申し込んだとき(申込日開始日の夕方)には土日は既に満席で、平日の空きを探して予約しました。超人気の雲龍図!

西光寺の境内へ。脇の道(宮添みのり公園に続く道)はよく通るのですが、境内に入るのはめったにありません。(年に数度くらい、手を合わせたくなり賽銭箱の前に立つくらい。)本堂の前に行くと、行列ができています。15時の回の40人。開始10分くらい前に建物の中に通され、総持寺の出張売店などを見ながら時間を待ちます。総持寺オリジナルのコーヒー?なんて思いながら。


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時間になり、副住職の案内で本堂に入ります。本堂に置かれた法事用のイスに座り、住職の話を聞きます。40分くらいの説明ですが、笑いありのユーモア交えた説明で、あっという間に説明が終わってしまいました。

雲龍図は平成12年(2000年)辰年に完成した単色の墨絵の天井画。12.5畳(4.5メートル四方)という大きな天井画です。まだ完成から24年と新しく、白黒が鮮やかです。絵師(姫路青峯)に躍動感を求めて構図を求めたとのことで、龍が螺旋に舞う様子が立体的に描かれています。平面の天井に立体感のある絵が描かれているので、見る角度により龍が違う姿に見える効果があります。住職の説明のあと、みんなで本堂をぐるりと回って、龍が「動く」様子を堪能しました。

次に雲龍図を見る機会は11月とのこと、それ以降は12年後の辰年になります。

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「たけくらべ」

言わずと知れた樋口一葉の短編小説だが、読んだことがありませんでした。大吉原展で紹介されていたので気になり、Kindleに落としました。買ったのは河出文庫の現代語訳。一葉の文体を活かしつつ現代語訳された本です。

句点がなく読点だけでつながっている古文独特の文体ですので、現代語訳と言ってもかなり読みにくいです。でも、句点がない文体なので忙しなく登場人物が動く様が表現されているので、文体も現代風にしてしまうとだめになっちゃうんだろうなと思います。難しいところ。なお、現代語訳は小説家の松浦理英子(親指Pの人)。

吉原の門前の街に生きる思春期の少年少女の心情が描かれています。少年少女ながら社会的にいろんな立場があると認識し、それでもそれを打ち破ろうとする思い。しかし、多少暴れたって、そんなものは戯れ。世は何ら変わることがなく、定まった道を受け入れるしかない現実を見せつけられる。青春の後味は苦い。

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2024.04.21

『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』


芸大の展覧会「大吉原展」では、吉原の文化発信面や商業的な広報の面に焦点が当たっていたが、中で働く遊女の心情がそっちのけだったという印象を持った。彼女たちは前借金のカタに吉原に閉じ込められ、商品として着飾られ、強引に教養を押し込まれていたのでは。その部分の疑問は、展覧会では取り扱っていなかった。

そのような部分に焦点を当てて描いている書物はないかとKindleで探してダウンロードした本です。読み始めて気づいたのが、大吉原展は江戸時代の文化を取り扱っていたのに対し、本書の舞台は大正時代。そもそも時代が違った。でも驚いたのは、大正時代という近代においても、家の前借金のカタに娘が売られ、売られた娘は吉原に閉じ込められて身を売るほかない状態に陥ってしまっていること。公娼制度が、遠い昔の話ではないということです。

本書は、吉原に売られた娘による日記。自分がいかに騙されて吉原に連れてこられ、吉原に入ってからもいかに騙され続けてきているかということをひたすらに描かれています。弱い立場の人間が、いかに虐げられているか、筆者は赤裸々に綴っています。

吉原を糾弾する意図でもなければ、誰かに助けを求めるための日記でもない。ただ事実を書いたログ的なものでしかありません。だからこそ、心情などが素直に伝わってくるのでしょう。ただ、筆者は他の遊女に比べて冷静な視点を持っており、長いものに積極的に巻かれるタイプの人間ではありません。なので、長いものに巻かれる同僚に対しての視線は厳しい。しかし、思いやりも持ちます。

結局、その仕事は嫌だということはさんざん語られてわかりますが、どのようにその仕事が嫌なのかの描写がありません。校閲で消された部分にそういう記述があるのかもしれませんが、現代に残る文面では伝わらないままです。虐げられた内面を伝えるのは相当難しいのでしょう。だからといって、着飾った文化でかき消されてしまいませんように。

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『人は、なぜ他人を許せないのか?』

audiobookで目に付いてダウンロードしました。こういうタイトルをダウンロードしてしまうのは、こういう人に身に覚えがあるから、こういう人に苦しんだ記憶があるから。なぜその人がそういう行動に出たのか、まったく理解できなかったから。

本書を聴いてなるほどと思ったのが、人を攻撃することは快感を覚えるということ。そして、そのことが中毒症状=正義中毒になってしまっていることです。そう考えると、悪者を強引にでも探し出して攻撃することは、人間として止むを得ないことなのかもしれません。

それでも、人を攻撃することが属するコミュニティに悪い影響を与えることを我々は知っています。大半の人は、そのことを知っていて、例え快感につながることをしっていても攻撃を抑制するのだと思います。しかし、その抑制が聞かず、人を攻撃し、コミュニティを破壊する人も一定数いるということは認識しておくべきなんでしょうね。

あと、自分が攻撃者になってしまわないためにどうすべきか。そのあたりも押さえておく必要があります。いろんな知識、いろんな意見、幅広に様々なことを学ぶ努力を怠らないことが重要なようですね。

出版社サイト

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2024.04.06

『女子高生誘拐飼育事件』

先月の歌会でストックホルム症候群の歌が評に出た。エロい中年男性にとってストックホルム症候群と言えば「完全なる飼育」ではないだろうか。竹中直人と小島聖の映画は衝撃的だった。この映画は1965年に発生した女子高生籠の鳥事件をモチーフとしている。同じ事件をモチーフとした小説があったので、Kindleで開いてみた。

小説の文体に攻撃性を感じる。この文体で、ストーリーの刺々しさを感じる。犯人の人格の描き方も悪意に寄せて書いてあり、被害者の順応とのコントラスタを際立たせる。

犯人も被害者も、最初から破綻した関係と知りながら、終局が来なければいいのにと祈りながら時間を過ごす。ヒヤリとしながら読み進める感情は、こちらも犯人に感情移入してしまっているのだろうか。

著者が犯人の心情、被害者の心情にどれだけ寄って書くことができていたか。文体は荒いが、その荒さゆえ、寄り添い具合は読者に委ねられているのかもしれない。

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