沖縄本島南部
仕事で那覇に行ったので、延泊して観光をしました。那覇でレンタカーを借り、本島南部をまわることに。
旧海軍司令部壕に。那覇空港に近い、小高い場所にある戦争遺構です。丘の中に人道トンネルを張り巡らせ、軍指揮に必要な機能を配置していた場所。総延長450メートルを人力で4ヶ月で作ったというので、なかなかの強引な工事だったと想像できます。しかし、半年後に司令官は壕内で自決してしまい、この部隊は崩壊します。この壕から発信された「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文にて、悲惨だったのはこの壕だけでなく沖縄全てだったことも思い知ることができます。

ここから331号線を南へ。ときおり右側に青い海が見えます。浦添や那覇など市街地の海でも青くて美しいのですが、市街地を離れるとより美しいですね。ハンドルを握っているのでチラ見しかできず残念。
ひめゆりの塔。いわゆる西田発言で話題のスポットです。(全国紙ではもう下火になりましたが、琉球新報や沖縄タイムスではまだ大きく取り上げています。)報道では、展示が何を主張していて西田議員が何を主張しているのかわからないままですが、現地に行けば何かわかるでしょうか。まずは、いわゆる「塔」の前へ。実は塔の目の前には大きな洞があり、この洞は陸軍第三外科壕として使われた場所。ひめゆりと言われた師範学校( 沖縄師範学校女子部
、沖縄県立第一高等女学校)の学生が看護婦として従事していたとのこと。沖縄戦前の豊かな学校生活と、沖縄戦突入後の過酷な壕内生活が対比されて展示されており、戦争が奪ったものの大きさを思い知ることができます。そして、後半は生存者の手記の展示です。政治的な色付けはなく、女学生が見たこと、体験したことが淡々と書かれています。書き手は捕虜になるなと言われていたのに捕虜になってしまったこと、同級生を見捨てる形になってしまいながら逃げ延びたことに対する自責の念を持ちながらこれらの資料を書いています。戦争は生存者たちに対しても重いものを残してしまっていることを思い知ります。結局、西田議員が何の目的で発言したのか、周囲は何を批判しているのかの理解はできませんでした。

少し西に走り平和祈念公園へ。海を望む広い芝生地です。平和そのものの光景ですが、ここは最後の激戦地。資料館には沖縄戦を生々しく伝える資料もたくさんです。車椅子に押されて展示を見ていた老女が、怖くてずっと来れなかったがようやく勇気を出して見に来ることができたと同行者に語っているのが印象的でした。彼女は沖縄戦からどう生き延びたのか、周囲の人間はどのような運命を辿ったのか、いろいろ思ってしまいます。芝生を眺めながら沖縄そばを食べ、平和のありがたさを噛み締めます。

南東岸を少し北上。右手には美しい沖縄の海。南東岸は崖が海に迫る地形のため、ドライブしながら美しい海を眺めることができます。梅雨の合間の晴天、気持ちいい。知念岬へ。この岬も崖地の上で、心地よい沖縄の海の景色を堪能できました。

海辺のドライブはおしまい、本島を横断して那覇方面に向かいます。途中、再建工事中の首里城に立ち寄りました。正殿は工事の仮屋で覆われていますが仮屋のステージに登ることができ、間近で素屋根を見ることができます。工事中だけの特典ですね。2年前に訪れた時はまだ材木を作っていたことを考えると、だいぶ進みました。

那覇に戻りレンタカーを返却して、ドライブはおしまい。帰路のA737-800のウイングレットは桜のマークでした。
