2023.08.28

片平川

麻生区多摩線沿線住民には馴染み深い片平川ですが、意外とちゃんと見たことがなかったなと、遡ってみることにしました。
片平川は麻生川の支流。柿生中学校裏のあたりの天神橋で、麻生川に注ぎます。
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天神橋の下では、サギが魚を待ち構えていました
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川沿いには監視小屋のような小さな建物。なんだろう。
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川は基本的に三方護岸の都市河川の形状です。
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左岸側を走っていたら、塀の向こうにゾウが見えますね。たぶん、マンションのミニ公園のすべり台だと思われます。
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左岸が開け、右岸は山に当たる地形が続きます。この地形が「片平」なのかもしれません。
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途中「仲堰跡」という石碑がありました。都市河川になる前は農業用水も兼ねていて、灌漑に試行錯誤して苦労していた様子がわかります。
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途中の「富士見橋」は、なんだか道路の様子が違います。突然、立派で耐久性がありそうな橋。
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右岸側の坂道を登っていくと、こんなところがありました。

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中央新幹線の換気口の工事現場に続く取付道路でした。2026年12月まで工事。そのあとは、何事もなかったような光景に戻るんでしょうか。

富士見橋から上流は、子どもたちの絵日記が飾ってあります。

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その先の橋は、フロンターレ橋。

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もう少し上流側に金井原公園があります。サルスベリの樹勢が立派です。

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そろそろ、上流端に近づいてきました。

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上流端近くに、石碑。柄のある石が使われているので判読しにくいのですが「亀井堰跡」とあり、俳句が2句詠まれているのではないでしょうか。

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この先は暗渠です。尻手黒川とテニスコートの間の不思議な空間が、片平川だと思われます。

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この先に、いかにも暗渠という道があります。

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でも、すぐにこんな階段。

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ここが、認識できる片平川の上流端なんでしょうね。

その先の栗木公園の貯水池を片平川の起点としてもいいかも知れません。

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でも、本当の源流は、栗木工業団地の最奥であるジローレストランの工場の裏の山ではないかと思います。

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身近な片平川、こんなところなんだなという発見の休日の朝でした。

 

 

 

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2023.08.18

『木挽町の仇討ち』

直木賞受賞作ということで、読んでみました。

様々な人生を歩んだ者たちが芝居小屋に集まる。そして、芝居小屋の前で繰り広げられる派手な仇討ち。仇討ちを見た芝居小屋で働く者たちに、ただ仇討ちを語せるだけでなく見た者の人生観をも語らせる、その構成が素晴らしい。そして、芝居臭い殺陣を語る木戸役者から導入して読者を引き込み、話者の人生の苦楽をエンタテイメントとして読ませる。そして、どんでん返しの結末の人情劇。ミーハーで読んだ話題作でしたが、よいものを読むことができました。

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2023.08.17

麻布十番暗闇坂

はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」を聴いて、麻布十番の暗闇坂を確かめたくなった。

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この坂が暗闇坂。大江戸線麻布十番駅の近くです。暗闇坂を少し登ったところから振り返ると、鳥居坂下交差点(の1本南側)を谷底に、両側とも大きな谷になっているのがわかります。

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暗闇坂を登っていくと、両側が切り立って鬱蒼としてきます。暗闇だ。さすがにムササビって感じではないけど。

 

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登りきったところは、暗闇坂、大黒坂、一本杉坂、狸坂が交わる交差点。たぶんこれが一本杉。

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いくつか選択肢があるところ、狸坂を選択。降りてみます。坂の途中には取り壊し工事中の教会があったり、微妙な風情です。

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坂を下り切った所に、こんなに細い路地。というか、水路の蓋なんじゃないかという道。

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この路地の突き当たりは、人の家。というか、この道じたいが人の家を歩いているみたい。

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この先は、なぜか古めの民家が密集する地区。港区元麻布に、開発から取り残されたこんな場所があるとは。

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コンクリート壁の上は、麻布中学校・麻生高校です。

この集落に、宮村児童遊園という公園。国有地を借り受けていると説明書きがあります。右側が一段下がって古い集落、左側は崖です。

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左の崖を登ったところからの景色。谷間の集落の向こうに六本木ヒルズが見えます。不思議な光景。

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崖を登った先には、西町インターナショナルスクール本部館という素敵な洋館がありました。

 

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ここから、一本松坂、大黒坂を下ります。下りきったところが、麻布十番パティオ。道の真ん中の広場です。

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ここに、赤い靴はいてた女の子の像がありました。横浜の?と思ったら、なんと麻布の孤児院で亡くなったと書いてあります。

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赤い靴の意外な物語を知って、麻布散歩はおしまいです。

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2023.07.30

『土門拳 古寺を訪ねて』(斑鳩から奈良へ)(奈良西ノ京から室生へ)

4月の東京都写真美術館での土門拳の展覧会を観て、室生寺が気になっていた。7月15日、東海道新幹線と近鉄特急を乗り継いで室生寺を訪問した。真っ赤な翻波式衣文と黄金の白毫が心に残る金堂の釈迦如来、優しく微笑む弥勒堂の弥勒菩薩、青空に聳え立つ五重塔。土門がフィルムに収めたものを自らの眼で確かめることができた。そして、土門はどのような思いで仏像に対面したのか復習したくなり、一冊を人に借り、一冊を古本で取り寄せて読んだ。

本書は土門のエッセイと写真を文庫4冊に編集したもののうち2冊。聖徳太子の霊や鑑真随行者の仕事に思いを馳せるエッセイとともに、旅先で出会う人との会話も盛り込まれている。特に室生の人々との交流は深かったよう。土門は室生の人々の気持ちも境内写真に収めたのだろう。そんなことを思った、エッセイと写真の文庫本だった。

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『我が友、スミス』

スミスとは筋トレマシンの名前。ジムでのスミスマシンの席取りあたりから物語は始まるが、話はどんどんストイックになっていく。淡々と描かれているので、ストイックさがなんでもないように思う。よく考えてみると、けっこうな異常人。それを思わせないさらっとした書きっぷりが、かえって面白い。

最大限までストイックさを高めておいて、最後のシーンがやってくる。どうして靴を脱いだか。そこに来るまでに溜まりに溜まっていたものは何だったのか。それは、それまでの物語の中のところどころに埋め込まれている。そして、読者もそのことを若干だけ胸に引っかかりながら読み進めてきたはずだ。

競技に、そして人生に何を求めているのか、ふと振り返りたくなる時がある。

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『冬の花火』

「乳房消失」の歌人、中城ふみ子の伝記的小説。東京で遊学し北海道に戻ってエリートと結婚という順風満帆な人生から一転、夫の汚職、離婚、乳癌への罹患と、次々と悪事が重なる人生。転落する環境において、ふみ子は強烈な個性を発揮し、男を翻弄し、これでもかと人生を貪り食う。自らの先が短いと悟って、より生き急いだようだ。失ったもの、失ってしまうものを生きている間に取り返すように。

中城ふみ子の31年間の人生は、濃く、重い人生であったと感じさせる一冊だった。

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2023.07.04

笄川

東京都渋谷区〜港区を流れる古川(渋谷川)の支流に「笄川」というのがあるのを知った。「こうがいがわ」と読む。笄は麻布の小字でもあった地名。会社帰りに、笄川を歩いてみようと、広尾駅を降りた。

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広尾駅の南側には、天現寺橋交差点が見える。天現寺橋付近が笄川の終点と思われるが、天現寺橋だけでも情報量が多そうなので、またの機会にしよう。

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広尾駅から外苑西通りを北上。少し歩いたところで左に分岐があります。これがたぶん、笄川。

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この脇道の左手は崖地になっていて、聖心女学園のキャンパスになっています。

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 この先には、オマーン・スルタン国の大使館。なんだかかっこいいぜ。

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右手のマンションと道路の境界が若干ウネウネ。河川跡地の雰囲気を醸し出します。

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左からはたくさんの坂が降りてきてます。

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掲示板には、小さく旧地名が書かれています。麻生笄町。

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路地裏には石垣の崖。階段は私有地の中にあるものっぽく、登りきったところの扉が閉まっていました。

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左(笄川の右岸)に「牛坂」という坂があり、そこを降りたところの交差点が「笄橋」です。笄の地名と笄川の河川名は、笄橋から来てるとのこと。

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この先、笄川より少し高いところにある六本木通りを北に渡ります。

六本木通りの北側はこんな感じ。

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右が笄川、左は北坂から根津美術館方面に向かう道です。でも、しばらく並走。なので、こんな場所もあります。

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写真手前が笄川、階段の上が北坂への道です。暗渠化する前は、段違いに水路が流れたいたんだろうか?

さらに登ると、左手(右岸)に青山霊園立川墓地が当たります。

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この先、青山陸橋の手前にある笄児童遊園の標高が19m。広尾駅が10mなので、けっこう登ってきたことがわかります。

青山陸橋をくぐってさらに上流へ。

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いかにも河川跡地らしい曲線にうっとりしながら歩きます。

リビエラ南青山というビルが、外苑西通り側の谷戸を詰めた場所のようです。

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外苑西通りの東側に回ってみます。大通りから大きく下り坂になってる道が、河川跡の道。外苑西通りを青山通りに接続するために、大通りの路面を上げたと推測できます。

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この道にはポチポチ通りという名前が付けられているよう。ポチポチ。

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ポチポチ通りの東側に墓地を持つ梅窓印という寺院の北隣のセイザンⅠというビルが、笄川の谷戸奥のようです。

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この坂を登ったら、外苑前駅。

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今日もお疲れさまでした。

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2023.06.25

『あの胸が岬のように遠かった』

歌人永田和宏による、妻で歌人の河野裕子の懐古録。永田の幼少期の境遇の説明と、河野との恋愛期間の懐古がメイン。

永田の院試不合格による二人の不安定がクライマックスか。乗り越えたというか、乗り越えられずに荒波を被ってしまったというか、読んでいる分にはずいぶん荒れてすさんだ時期だったように思うし、実際に二人とも辛く苦しい時間を過ごしたはずだ。それでも、河野は「もういちど生まれて来ても、今日まで生きて来たのと同じ青春を選び取ろう」「このようにしか私には生きられなかった」と第一歌集の後書きに語る。苦しさも含めて、彼女を築き上げた青春なんだろう。永田は、その重さまで引き受けて、河野を見送ったのだろうか。

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2023.05.28

「街とその不確かな壁」

村上春樹の小説。村上春樹らしいリアリティとファンタジーが融合した世界を、より色濃く、複雑に描いている。現実と空想、夢と現、生と死、実体と影。その境目が曖昧だと村上は表現したいのだろう。そして、どちらが現実なのかも明確に言い表せない。そうして、読者にどっち側にいるのかの認識を惑わす文章。

この本を読み出す前、知人に「最近、夢を見ていない。若い頃は見ていたんだけど。」を話をしていた。ところが最近、夢を見るようになった。ただ、夢には論理性も一貫性もなく、目が覚めて思い返すと夢だとすぐに判る。しかし、もっと鮮明な夢を見る人もいるのだろう。壁に囲まれた街は、そういう明確な夢なのかと。

そして、夢の中でも夢がテーマだったり、自分の内にいる他社との会話をしたりと、読者の足を地に付けることなく終章に向かう。

16歳の少女は、夢だったのか。主人公の青春すら、夢だったのか。Img_9784103534372_1Img_9784103534372_1

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2023.01.23

『行動経済学の使い方』

Kindle Umlimitedの本棚を眺めてたら行動経済学の本があったのでダウンロードしてみた。人間は合理的じゃないので、どのようにナッジしたら最前に行動するのか雑誌なんかでもよく見るネタである。


本書は新書なのでいろいろ簡潔に書いてあるのだが、それでもいろんな実験がいろんなところで行われているのだと感心する。


・現在バイアス

・損失回避


この2点が、大事そうだ。


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