角田光代の小説。祖父の死をきっかけに、家族各々の回想を組み合わせて小説に仕立て上げられています。時間軸を複雑に組合せながら読者を引き込むのは、『紙の月』に似た手法ですね。
逃げることの勇気と大変さが、この小説のベースにあります。祖父母が故郷から満州に逃げ、祖父は開拓地からも逃げたということが物語のスタート。逃げての人生だという負い目が祖父にあり、でも逃げてこそ生きているんだという現実もあり、そのなかから「逃げるのは悪いことじゃない。逃げたことを自分でわかっていれば、そう悪いことじゃない。闘うばかりがえらいんじゃない。」「とうさんは逃げて、えらかったって。」などのセリフが、家族に教訓を残して言います。あちらこちらで、その考えがジワジワと効いてきます。そして、逃げてきた結果としての現在の生活が、土台がないあやふやなものだという感覚が、木の上の秘密基地「ツリーハウス」ということなのでしょうね。
ただ、祖父母が居着き、家族を持った場所が新宿角筈。喧噪のまっただ中で、いろんな「事件」に巻き込まれやすい場所。戦後の安泰な時代でも「闘う」機会に恵まれてしまう。「新宿はいやだ、と慎之輔は思ったのだった」。
昭和天皇崩御の回想から、祖母が満州で経験した終戦の恐怖が伝わります。「今日はたいへんな一日になる。何が起こるかわからない。」実際には終戦のように何か国民生活に大きな影響を及ぼす恐怖が発生したりはしないのですが、ここでいちいち恐怖を感じてしまうのが戦争経験者なのでしょうか。
物語は大きく、そして重いです。このズシリと圧し掛かってくる迫力が、さすが角田光代です。小説の最後のほうで、家族の小説を書いてみたいという話があり、「いや、うちのことじゃなくってさ、もっと波瀾万丈な…」とありますが、これ以上波瀾万丈な家族はないだろうに。作者はどういう思い出このセリフを書いたんだろう。