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2016.12.27

『棋士の一分』

10月に騒動になった三浦九段のカンニング疑惑、12月26日の第三者委員会会見で疑いが晴れました。この3ヶ月間の出来事は、将棋界に大きな禍根を残してしまいますね。

その騒動の中でひときわ声が大きかったのが、橋本崇載八段。騒動の勃発時に「1億パーセント黒」など過激な発言をしていました。その前も、電王戦で「将棋に似た別のゲーム」など、将棋ソフトを全否定する発言があったり、ソフトと関わっているもの(関わっていそうなもの)を極度に避ける様子が感じられました。

その橋本八段が、この騒動の最中に出版したのが本書。やはり、将棋ソフトに対する極度のアレルギーを持たれているようです。

本書を読んで感じるのが、棋譜は人間が残すものだから価値があり、ソフトが残す棋譜には価値がないと考えているということ。研究も、ソフトが編み出した手については価値がなく、人間が考え抜いた手こそが価値があると考えていますね。研究にソフトを用いることを公言している若い棋士(千田翔太六段のことです)のことなんか、正直言って全否定なんでしょうね。とにかく棋士がソフトと関わること全般的に否定しています。

(1) 棋士の棋力とソフトの棋力が比較されること
(2) 棋士がソフトを用いて研究すること

この2点を否定しているのですが、本文中ではこの2点が混同されていて、意見がわかりにくく感じます。

僕個人としては、上記2点とも否定するのはこれからの将棋界にとってマイナスと感じます。まず(1)のソフトの棋力。これは、ここ数年間が拮抗状態ですが、あと数年でソフトが圧倒的に強くなります。ディープラーニング手法などAI技術が進化しているのとCPU性能が向上を続けていることから、どうしようもないことです。これは、棋士も将棋ファンも認識しているはず。正直言って、ファンにとってあと数年だけの楽しみなのです。その後は、どうでもいいことになってしまいます。そして(2)のソフトを用いての研究。これも、いままで固定観念に縛られて気付かなかった手がソフトを用いた棋士の手により開発されることを期待しているのがファンではないでしょうか。しばらくは従来の研究手法を用いた棋士とソフト研究の棋士とのぶつかり合いが楽しくもなるでしょうし、そうやって新しい定跡が棋譜として残ることをファンは期待しているのではないでしょうか。

棋士こそが将棋の最良の棋譜を残すべきで、ソフトではなく棋士こそが頂点にあり続けなければならないというのは、橋本八段が持っている強迫観念のように感じます。ファンは、ソフトという世界と棋士という世界が隣接して存在していることは認識しています。そのうえで、例えソフトの棋力が棋士を上回ったとしても、棋士の対局と棋譜を毎日楽しみに待っているのです。

いくつか本書に同意する部分もある。例えば、タイトル戦のニコニコ生中継。生中継をするサービス自体は素晴らしいのですが、他の生中継動画と同様に「弾幕」と呼ばれるユーザのコメントが画面を流れる方式を取っている。(それを表示しない設定もあるのだが。)これが、いかにも品がない。弾幕禁止で、コメントは脇表示限定などの設定で生放送できないものだろうかと思う。

あと、将棋連盟の運営。現在、将棋連盟の運営は棋士によって行なわれている。しかし、棋士は将棋を指すことにプロではあっても、組織運営においてはプロではない。「マネジメントやストラテジー、交渉といった部分においてスペシャリストを起用する発想が足りない」(P.99)のだ。正直、現在の連盟の運営は、棋士だけではそろそろ立ち行かなくなる。将棋という価値あるコンテンツを組織運営の素人が管理すると、それこそソフト業界などが面白みを全部持って行ってしまうかもしれない。まだ新聞が棋譜を高く買ってくれるこの時期のうちに、新聞社の管理部門から出向を受け入れるなどして、組織運営のプロに組織を運営してもらうべきではないか。そして棋士の理事会は名誉職化することで、谷川会長のA級復帰なども望めるかも知れないではないか。


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