KindleUnlimitedにあったので、何となく読み始めた本。しかし、意外に奥深かった。
本書で取り上げる「経済古典」は以下の10冊
・アダム・スミス『国富論』(1776)
・マルサス『人口の原理』(1798)
・リカード『経済学および課税の原理』(1817)
・マルクス『資本論』(1867)
・ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936)
・シュムペーター『経済発展の理論』(1912)『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)
・フリードマン『資本主義と自由』(1962)
・ハイエク『隷属への道』(1944)
・ワグナー・ブキャナン『赤字財政への政治学』(1979)
いずれも、聞いたことはあるけど読んだことはないなという本ばかりでした。どの本も実際に読むのは難しすぎて、専門家向きだろと思っているものばかりです。
ただ、本書では「古典」を取り上げていると捉えるより、それぞれの経済学者の思想を捉えると考えたほうがいいと思います。書名および発行年は、その時代を明確に示す記号と捉えて読み進めます。時代背景が大切なので、いくつか関係しそうな世界史年表を少し。
1764 多軸紡績機の発明(産業革命)
1776 アメリカ独立宣言
1789 フランス革命
1846 イギリス穀物法廃止
1914-1918 第一次世界大戦
1917 ロシア革命
1929 暗黒の木曜日(世界大恐慌)
1939-1945 第二次世界大戦
(2001-2006 小泉内閣…著者が経済財政政策大臣)
この本で最初の方に強調されて書かれているのが、『偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとした』ことです。アダム・スミスもケインズも「目の前の」問題の解決のための提案をしているということです。あくまでも「目の前の」。
アダム・スミスが国富論を書いた時の「目の前」はどういう状況だったか。
まず、本書で、『国富論』以前に経済学はなかったと書かれています。この時代以前は封建制・地主制の社会で、産業革命などで社会が変わっていてって、労働市場の成立や社会秩序の乱れなどが現れてきます。植民地を支配しなければいけないが戦費は嵩みます。この社会の状態をどのように理解すべきかという課題があった時に、アダムスミスが『国富論』を記したのです。国富論で取り上げた問題は①社会秩序②財政赤字③植民地④重商主義であり、重商主義(貿易黒字を目指す政策)を批判し、「見えざる手」(有名なフレーズですね)に委ねるべきだと説きます。
これを受けての18世紀末〜19世紀初頭のマルサスとリカード。このあたりになると産業革命後の経済で、資本家が台頭する社会。地主、資本家、労働者という3つの対立軸で経済が語られています。産業革命の進展により賃金が上昇し労働者が豊かになり、家族が増え、人口が増える。しかし農地がそれほど増えるわけではないので、食べ物がなくっちゃうのでどうする?という悲観論がマルサスの人口論。このままだったら農地を持つ地主が「差額地代」を得て地主だけが豊かになってしまう、なので穀物法(イギリスによる食料の輸入制限)反対!というのがリカードの主張。当時は工業が発達してきたとは言え、まだ農政が経済学の主な議題だったことが読み取れます。
で、時代は飛んでケインズ。僕らの時代の人間にとってケインズ経済学こそが経済学だと思い込んでいる部分が大きい。中学高校の社会の授業で「乗数理論」とか習ったし、経済学ってそれくらいしか習わなかったし。あたかも万能であるかのように日本人に浸透しているケインズ経済学を、著者はあくまでも特定の問題を解決するための理論でしかないと主張するのが、本書の最重要ポイントです。
『一般理論』(1936)前夜の世界経済は、1929年の大恐慌を受けて、とてもひどい状態。強引な政策をもってしてでも解決しなければいけない課題があったわけです。こんな経済状況を放置して自然に良くなることなんて待てないわけです。そこでケインズの登場。エリート中のエリート(であることを、かなりのページ数を割いて著者は主張)が、「正しい」経済政策として公共事業の拡大を推し進めるわけです。この「正しい」がハーベイロードの前提(エリートは常に正しい!)に基づく怪しい正しさだと、著者はブキャナンの公共選択に代弁させています。
さて、ケインズ後の経済論壇こそが、この本のハイライト。ハイエク、フリードマン、ブキャナンと、新自由主義(シカゴ学派)の登場です。彼らも、個々に問題を掲げ、解決を図ります。
ハイエクにとっての問題 = 集産主義
フリードマンにとっての問題 = スタグフレーション
ブキャナンにとっての問題 = 財政赤字
ハイエクは、自然な秩序への信頼によって問題解決を図ります。エリートによる社会工学的な解決方法に対立する考え方です。
フリードマンは、スタグフレーションのメカニズムを解明します。
ブキャナンは、ケインズ的処方は必然的な(財政の)偏りを生むと解きます。
ハイエクは『民主主義は自由において平等を求めようとする。社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとする。」まで書き、ケインズ的な大きな政府による統制は隷属であるとまで言ってのけます。
この章は、ケインズ経済学に対する強烈な批判が込められています。
本書の著者である竹中平蔵は、「小泉改革」に際して経済財政政策大臣に就任し、民営化推進や公共事業の縮小などインパクトのある経済政策の先頭に立ってきました。この本が書かれたのが2010年。リーマンショック後に民主党が政権を取っていた時代です。財政赤字か急拡大し、自分がやってきた「改革」が水泡と帰す危機を感じていたのではないでしょうか。なので、ケインズ経済学は万能ではなく、今こそ自由主義に立ち返ってほしい思いが本書に現れているような気がします。
のちに、日本経済史において小泉改革はなんだったのかという評価がなされると思います。その時に、それぞれの内閣が解決しようとしてきた問題は、そして解決の手法はを考える時に、著者=政策立案者の思いを振り返ることができる面白い本なのではないでしょうか。
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KIndleUnlimitedの本は変な自己啓発書かエロい本ばかりかと思っていましたが、本書のように読み応えのある本も探せばあるのですね。アンリミ、もう少し活用しなきゃ。