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2017年10月の6件の記事

2017.10.30

若葉台小学校プレハブ校舎跡地に100戸マンション

若葉台小学校と稲城6中の間、以前には若葉台小学校のプレハブ校舎があったところに「建築計画のお知らせ」が立ってました。



コープ斜向かいということもあり商業施設を期待して看板を見てみると、マンションのようでした。



地上5階(地下1階)105戸10,184平米という建物です。高層マンションが建ち並ぶ若葉台地区では目立ちませんが、そこそこの大規模マンションです。

入居ラッシュが一段落して小学生が少なくなって空いた土地に、また入居ラッシュを呼び込むという矛盾点が面白いですが、この規模の開発は市にアセスを提出しているはずなので小学校教室数はキャパ以内という見込みなんでしょうね。

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2017.10.22

盤の上にも三年

ふと古いブログを見ると、ちょうど3年前に初めて将棋関係の記事を書いています。将棋を勉強し出して3年になるのですね。

この間、何度か将棋会館に行き、ネットで指しなどしましたが、現状では千駄ヶ谷13級、ウォーズ4級と、まだまだ初心者の域を出ません。ここしばらくは人との対局から遠ざかっていて、もっぱらコンピュータとの対局(金沢将棋2)ですね。300まであるレベルの中で、100までクリアしたらウォーズに復帰しようと思ってるのですが、まだ90しか達成していない体たらく。

まあ、上達まで長く楽しめそう…とポジティブに捉えましょう。

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2017.10.19

運慶展

奈良の興福寺の工事の関係で東博で開催されている「運慶」作品の展覧会。雑誌とかで見かけて気になっていたので、雨の中ではあるものの上野まで足を運びました。

運慶だけでなく、父の康慶から子の湛慶まで含め運慶の系譜を辿る展示。やはりその中でも運慶の作品は迫力があってひと味違います。

寺院の建物の中で観る仏像と違い、照明などをより印象的に工夫されて設置されているので、仏像の迫力が増します。運慶の作品は、立体感がより増幅された印象を持つよう作られているようで、展示会の照明で増幅されて、800年の気迫をまともに受けてしまいます。

ところで、今回の展示は四天王立像が多かったのですが、足下の餓鬼、そんなに虐げられるほどヒドいことしたんですかね。



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2017.10.17

『LIFE SHIFT - 100年時代の人生戦略』

高齢化社会の進展に伴って就労などを含む人生設計に不安感を持つことが多くなってますが、その中で一つのプランを示した著書です。

この本では、1945年生まれ(日本でいう団塊)のジャック、1971年生まれ(団塊ジュニア)のジミー、1998年生まれのジェーンの3人をモデルに、世代ごとのあるべき人生設計を描きます。

終身雇用と定年制の社会制度で何ら困ることはないジャックの世代に比べ、ジェーンは雇用を固定化せず、いろんなレールに乗り換えてスキルアップし、老いてなお活躍するプランで長い人生を送ります。

これだけ読むと、なるほど、自分の進む道を早い時期に固定せず、寄り道しながらスキルを身につけるべきだと思ってしまいそうですが、ジミーは能力が高く運もいい、極めて稀な成功例だと思います。そうでない多数が長い人生をどう送るかの回答にはなっていないんですよね。このことは終章になってから著者も認めていて、ジェーンのような人生を送ることができるのは高スキル人材だけであって、中低スキル労働者がどう生きるかは社会の課題であると、、、。

あと気になるのが、人が歳を取っても努力を継続すれば能力は衰えないという前提。現実を見ていたら、人によっては50代半ばから事務遂行能力に翳りが見え始め、60代半ばでは一部の人を除き厳しい状態になっているかと。70歳を過ぎてもなお能力が衰えず指導力を発揮することができるのはごく一部に思えるのです。

本書の言うキャリアを中断してスキルを付ける生き方は、現実世界ではなかなか難しい。企業は雇用にあたって「ハズレ」を引くわけにはいかないから雇用が固定化してるのが今の日本の現状。もっと画期的に雇用が流動化する政策を取らなければ本書が前提とするような雇用環境にはならないのですが、移行期に痛みを伴う人が相当多いと想定されるので、そういう政策はなかなか選択されないと思います。

そんな中で、自分はどうするか。まずは65歳まで勤務先に見捨てられないようしがみ付くとともに、せいぜい今の知能の衰えを遅らせるための努力をしないとなあ。

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2017.10.05

『人工知能と経済の未来』

一時期、AIに仕事が奪われるなんて煽り文句が流行りましたが、そういう世の中になった時の経済をマクロ経済学視点で予想・解説した本です。1年くらい前に発売された本ですが、まだいろんなところで紹介されたり引用されたりしていますね。

まずは、AIとは何か。AIの開発の歴史と手法が簡潔にまとめられています。その後、人間の労働をAIが取って代わることがさけられない展望を描き、そして人間が労働をAIに奪われた後の世界をどう設計すべきかについて、ベーシックインカムの提案を紙幅を割いて説明されています。

いくつか、気になる点が。

今後(この本では2030年頃と予想)やってくるAIが人間の労働を置き換える時代。しかし、このような変革を人間は何度か見てきているはずです。定住革命だったり、農業の機械化や効率化、工業化など。しかし、その変革では人間の労働機会はなくならず、むしろ労働機会が増す結果に終わっていると思います。AI革命でも「何か」労働機会の発生があるんじゃないのかなぁ。その何かが思いつかないけど。

あと、消費は飽和していないという筆者の主張です。このへん、経済学に疎いのでちゃんとした理論で僕の気持ちをここに書けないのが残念なのですが、あるていど消費は飽和していると思うんですよね、現代の日本経済。確かに、第3章の最終節「需要創造型のプロダクト・イノベーションは必要か?」の中で、追加で金銭を受け取ったら追加の消費をする行動について書かれていますが、だからと言って今の日本経済において追加の金銭を受け取るために追加の労働を行いたい人間がかなり減っているのでは?と思うのです。70年代頃は労働機会があればどんどん労働に励んでいたと思うのですが、2010年代の今では「ワークライフバランス」など追加の労働が好まれない傾向にあり、やはり消費を増加する思いが頭打ちに思います。

このへん、前提条件にいくつか疑問を持ってしまうところもあるのですが、でも最終的には一般労働者の労働機会は減ることを前提に、経済学者や経済官僚・政治家は次の日本経済を設計していかなければいけないと思います。

本書は、労働機会の減少により「職に就けるのは1割」という想定をしていますが、僕はみんなが週に10時間くらいずつ働く社会がいいなぁ。

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『ダンケルク』

クリストファー・ノーランによる戦争映画。第二次世界大戦のドイツによるフランス侵攻に伴うダンケルク大撤退をイギリス兵士視点で描いた映画です。

この「撤退」という作戦を描くというのが、映画作品として微妙な味を出しています。この作戦は撤退の成功として完了するのですが、撤退ってことは負け戦なんですよね。兵士も、他の兵士を犠牲にしてでも這々の体で逃げ帰ることが目的になっており、かなり意地汚い、醜いストーリーです。これをどう描くの?というところが気になるわけですが、期待通りの醜さで描いてくれました。なので戦争映画によくある正義が勝利して爽快!という感覚は一切ありません。

主ストーリーは海岸から避難する陸軍兵士ですが、このほかにドイツ軍爆撃機を追撃するイギリス空軍兵士、避難用に民間徴用された小型船の船長の息子の視点からも描く、3軸並行で映画の時間が流れます。こういう進行をすると時間軸が混乱してストーリーを追えなくなることがよくあるのですが、この映画では3軸の接点を明確に示していて、わかりやすく効果の高い表現方法かなと思います。

爆撃機追撃のシーンは、期待通り迫力。やはり映画館で観てよかった。撃って撃たれて空を巧妙に駆け巡ります。

ダンケルク海岸からの脱出が成功して、英国に逃げ帰る兵士。その複雑な心境で映画が終わります。撤収した兵士が、その後ナチスの降伏まで、どのような思いで時間を過ごしたのかが気になります。

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