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2018年2月の4件の記事

2018.02.25

45歳になってTOEICを受験した



2000年前後にインターネット環境が整い、2010年代に入るとスマートフォンの普及もあり「世界」との距離も近付きました。しかし、僕と世界を大きく阻むものがあります。それは、言語。英語が理解できるようになれば世界が広がるはずという感覚は、インターネットの普及でより強く感じるようになりました。

手持ちのデバイスで英語に近付こうと、いくつか英語勉強のために取り組んだことがあります。まずひとつめが、NHKのWebサイトにあるニュースで英会話で比較的短めの日本人読み上げの英語を聴くこと。もう一つがKindleで米アマゾンのロイター誌を購読することでした。しかし、自分がどれだけの語学力があるか不明なのにこれらの教材が効果があるのか、疑問を抱えていました。

NHK語学のアカウント管理方式変更やReuters(Kindle版)の配信トラブルなどがあったときに、これらを続けるか再考。ここで、自分の語学力を把握して、それに合った英語学習をしようと思いました。

語学力の把握で一番わかりやすいのがTOEICだと判断。TOEICの点数を把握し、勉強もTOEICの点数を上げることに焦点を絞ることで方向性を明確にしようと考えました。

勉強方法もネット教材の活用や書店で参考書を買うなど、比較的安価な方法があるものの、いまいちターゲットが絞れない。奮発して、通信教材を買うことに。

ネットで評判を見て、アルクのTOEIC対策講座を受講することに。アルクのサイト内にあった簡易テストの結果が40%台前半だったので、自分の現在位置が約430点と想定、半年後の目標点を600点に定め、まず最初の3ヶ月は「500点コース」を受講することにしました。

さて、初回の受験日を決めようとカレンダーを見ます。3ヶ月後の3月中旬の試験日は、既に予定が入っています。4月だと「6ヶ月後」の目標の中間確認には遅すぎる。で結局1月下旬の試験日を選択しました。1ヶ月半しかない。困った。アルクの通信教材は1日30分×3ヶ月なのですが、これを1日1時間×1.5ヶ月でこなすというハイペースで勉強することになりました。と言っても1日1時間なので、勉強時間の確保は苦にならず(毎朝の日課にしていた10kmのサイクリングをやめて時間を確保)ほぼ毎日こなすことができました。

教材の内容は、単語を覚え、短い文を読んで聞き、オーバーラッピング(英語音声に重ねて自分で発音する)やシャドーイング(英語音声に遅れて自分で発音する)をするというもの。1週間分が1セットになっていて、4セットで1冊(1ヶ月)、それが3冊です。覚えなきゃいけないとされる単語の数も週36語とそれほど多くなく、それほど苦ではない印象です。

中高生の頃は英語のヒアリングというとカセットデッキでガチャガチャ操作しなきゃいけなくて面倒だったのですが、今時はスマートフォンやタブレットのアプリで簡単な操作で聴くことができ、楽ですね。通勤途中でもイヤホンで音声を聞くことができるので、効率的です。僕は単語集の音声(単語→例文の順に英語で読み上げる)を電車の中や歩きながら聞くことでヒアリングの練習にしました。

教材を始めて思い知ったのが、TOEICは低得点者でもネイティブ速度の音声を聞かなきゃいけないこと。そりゃそうです。TOEICは500点を目指す人も990点(満点)を目指す人も同じ試験を受けるんです。やられた、という感じですね。気付いて、一気に自信をなくしました。

それでも、教材をこなしているうちに、TOEICでは何を試験されるかってのがだんだんわかってきました。これが、TOEIC専用教材のいいところ。500点を目指すレベルでは台本全部を聞き取ることはできないのですが、教材をこなすことで聞き取るべきポイントがだんだんわかってきます。この効果は大きい。月ごとの小テストをオンラインで提出する事で、通信教育ならではのステップに応じた訓練により自分が伸びてきていることが実感できます。

1ヶ月半で3ヶ月分の教材をこなし、通信教材の模擬試験にチャレンジ。邪魔の入らない2時間を確保し、取り組みます。ヒアリングは問題が次々と進みます。教材で流れをつかんでいたものの、本番の問題数となると別。だんだん疲労も入ってきて集中力の維持が大変です。ヒアリングが終わったら読解問題。これも読まなければいけない分量が多く、60分の試験時間では読みきれません。通信教材に時間の使い方が書いてありましたが、本番ではとてもそれ通りには進めることができません。それでも122/200問の正解(610点相当?)とかなりの高得点を取ることができました。

本番は1月28日(日)試験会場は明治大学生田校舎でした。前週に降雪し、まだ雪の残る丘の上のキャンパスでの受験でした。若干寒く、3時間の拘束ではトイレの心配もある試験環境でしたが、結果は640点とかなりの高得点。これで高得点なんて喜んでいるようではまだまだなんですが、僕にとっては高得点なんです。1ヶ月半の詰め込みでしたが、TOEICの点数を取る技術に関しては十分な成果だと感じてます。

「半年後に600点」の目標があっさり達成できちゃったので困惑。勉強のスタート地点が400点台前半かなと思ってたのですが、その時点で500点台前半くらいはあったのではないかと思います。それでも1ヶ月で多分100点くらいは伸ばした。

次、どうするか。たぶん640点では何かに役に立つことはなく、周囲から評価される点数でもないので、一般的に評価される始点になる730点を目指そうかと思います。そうすれば、洋書の読書も楽になるだろうし、洋画も字幕を見る頻度を減らせると思います。(字幕なしで観るのは990点の人でも難しいらしい。)そうすると当初考えていた世界との距離もうんと近づくような気がするので、引き続き頑張ります。

…730点に向けての次の教材は「ヒアリングマラソン」を選びましたが、これはかなり難易度が高いですね。

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2018.02.19

『グレイテスト・ショーマン』



昨年のラ・ラ・ランド、SINGなどミュージカル映画の頻度が高くなってる気がしますが、今度は『グレイテスト・ショーマン』です。

上流階級出身の妻を娶りつつも会社の倒産で失業した男・バーナムが興行で一山当てるという物語。人生の浮き沈みを歌に乗せて語るので、貧乏に悲壮感はありませんが、バーナムは夢を追う男。後に妻に、あなたは誰も愛していない、ショーしか愛していないと言われてしまうほど、高リスクな興行事業にのめり込む。

そして浮き沈みの激しいストーリー展開。状況が大きく転換する要所では、ダンスと歌。初めから終わりまで高揚しっぱなしで鑑賞できた、エンタテインメントとして傑作ではないでしょうか。

ここでやはり出てくるアメリカの差別意識の話。物語冒頭では上流階級と労働者階級の壁を描き、サーカス団を結成する過程では奇形とも言える団員を集め世間の批判を招くのですが、ここでの障害者差別や黒人差別も19世紀初頭の米東海岸や現代のアメリカでどのように認識されているのかの肌感覚がなく、映画の見方が難しいです。(例えばズートピアを児童映画として受け入れている土壌が難しい。)

最終的には、家族への回帰、仲間の結束、再出発と、底から登っていく方向感で終わり、エンドロールも劇中の音楽で余韻に浸らせる。観後感もなかなかでした。


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2018.02.12

『デトロイト』


51年前のでデトロイト騒動の中の事件のひとつ、アルジェ・モーテル事件を描いた映画です。この事件が遠因で引き起こされた2013年のデトロイト市破産や、この事件と類似の構図である2014年のファーガソン事件は知っていても、51年前のデトロイト暴動は映画を観て初めて知りました。参考:Wikipedia

本作品で描きたいのは、きっと、たった50年前には深刻な黒人差別と対立が存在していたという事実ではないでしょうか。オープニングのナレーションは、奴隷貿易から南北戦争まで、寓話的で痛々しい絵本のような解説で黒人の近現代における立場を解説し、デトロイト騒動の描写に入ります。

この映画のストーリーで鍵になるのが、クラウスという白人刑事。無許可発砲事件を起こしながらも、アルジェ・モーテルでは現場の指揮を執ることになる脚本です。クラウスそのものが実在した刑事なのか否かわかりませんが、こういう悪い印象を持たせる白人刑事をキーにするのは、数日前に観たスリー・ビルボードのディクソン警官と同じ構図かも知れない。(両者とも強い人種差別主義者として描かれています。)

黒人と一緒にいたチャラい白人女性を、白人警察官がどう見たか。これについても、脚本を作る側もかなり悩んだのではないでしょうか。売春婦なのか観光客なのか、劇中でも曖昧にすることで、より観客に考えさせられる状況を作っています。白人女性が黒人男性に体を売ることが、白人に対する侮辱とも捉えられているのかもしれませんし、侮辱と捉えての白人警察官の行動として描いているのかも知れません。

この映画が、黒人差別への怒りを描こうと意図しているのは流れでわかりますが、僕が気になったのはクラウス刑事のモーテルでの現場オペレーションです。結果として、彼の確認不足や警官への指揮についてのコミュニケーション不足で事態が悪化し無駄な死者が生じるわけですが、この指揮ミスについての描写が劇中ではありません。マネジメントのミスにより犠牲が生じているのにも関わらず、彼の人種差別主義を断罪しようという意図に見えてなりません。

事件の真相がわからないまま、でも社会に問題と提起したくて脚本を書いたのだと思いますが、アメリカの黒人差別の実態がわからないまま見るのは難しいです。

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2018.02.06

『スリー・ビルボード』


娘を強姦殺人された母親が、警察の捜査が進まないことに苛立って街はずれの道端に「RAPED WHILE DYING」「AND STILL NO ARRESTS?」「HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?」という過激な広告看板を掲出することから起こるドラマ。昨今の日本の報道のような怠慢な警察対住民の構図なら看板は警察叩きの格好のアイテムといて動くのでしょうが、作中では住民に慕われている警察署長に喧嘩を売った母親という構図になり、主人公は村じゅうを敵に回すことになります。

そして、母親の怒り、上司や組織を馬鹿にされた警察官などいろんな怒りがぶつかり合い、増幅し、手に負えなくなってきます。作中「Anger begets anger」というセリフがありましたが、まさにそう。この静かな過熱具合と突然の暴力が見もの。冷静を装いながら憎悪の念を撒き散らすマクドーマンドは頼もしい演技ながら不気味にすら感じます。

ミズーリ州という場所が全米(特に東海岸や西海岸地方)からどのように見られているのかが分かると、もう少し作品を理解できるのではないか。黒人差別の捉え方など、ミズーリ州ってこういうものだよねという共通認識を持った観客を想定しているのでは?

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