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2024年4月の3件の記事

2024.04.21

『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』


芸大の展覧会「大吉原展」では、吉原の文化発信面や商業的な広報の面に焦点が当たっていたが、中で働く遊女の心情がそっちのけだったという印象を持った。彼女たちは前借金のカタに吉原に閉じ込められ、商品として着飾られ、強引に教養を押し込まれていたのでは。その部分の疑問は、展覧会では取り扱っていなかった。

そのような部分に焦点を当てて描いている書物はないかとKindleで探してダウンロードした本です。読み始めて気づいたのが、大吉原展は江戸時代の文化を取り扱っていたのに対し、本書の舞台は大正時代。そもそも時代が違った。でも驚いたのは、大正時代という近代においても、家の前借金のカタに娘が売られ、売られた娘は吉原に閉じ込められて身を売るほかない状態に陥ってしまっていること。公娼制度が、遠い昔の話ではないということです。

本書は、吉原に売られた娘による日記。自分がいかに騙されて吉原に連れてこられ、吉原に入ってからもいかに騙され続けてきているかということをひたすらに描かれています。弱い立場の人間が、いかに虐げられているか、筆者は赤裸々に綴っています。

吉原を糾弾する意図でもなければ、誰かに助けを求めるための日記でもない。ただ事実を書いたログ的なものでしかありません。だからこそ、心情などが素直に伝わってくるのでしょう。ただ、筆者は他の遊女に比べて冷静な視点を持っており、長いものに積極的に巻かれるタイプの人間ではありません。なので、長いものに巻かれる同僚に対しての視線は厳しい。しかし、思いやりも持ちます。

結局、その仕事は嫌だということはさんざん語られてわかりますが、どのようにその仕事が嫌なのかの描写がありません。校閲で消された部分にそういう記述があるのかもしれませんが、現代に残る文面では伝わらないままです。虐げられた内面を伝えるのは相当難しいのでしょう。だからといって、着飾った文化でかき消されてしまいませんように。

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『人は、なぜ他人を許せないのか?』

audiobookで目に付いてダウンロードしました。こういうタイトルをダウンロードしてしまうのは、こういう人に身に覚えがあるから、こういう人に苦しんだ記憶があるから。なぜその人がそういう行動に出たのか、まったく理解できなかったから。

本書を聴いてなるほどと思ったのが、人を攻撃することは快感を覚えるということ。そして、そのことが中毒症状=正義中毒になってしまっていることです。そう考えると、悪者を強引にでも探し出して攻撃することは、人間として止むを得ないことなのかもしれません。

それでも、人を攻撃することが属するコミュニティに悪い影響を与えることを我々は知っています。大半の人は、そのことを知っていて、例え快感につながることをしっていても攻撃を抑制するのだと思います。しかし、その抑制が聞かず、人を攻撃し、コミュニティを破壊する人も一定数いるということは認識しておくべきなんでしょうね。

あと、自分が攻撃者になってしまわないためにどうすべきか。そのあたりも押さえておく必要があります。いろんな知識、いろんな意見、幅広に様々なことを学ぶ努力を怠らないことが重要なようですね。

出版社サイト

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2024.04.06

『女子高生誘拐飼育事件』

先月の歌会でストックホルム症候群の歌が評に出た。エロい中年男性にとってストックホルム症候群と言えば「完全なる飼育」ではないだろうか。竹中直人と小島聖の映画は衝撃的だった。この映画は1965年に発生した女子高生籠の鳥事件をモチーフとしている。同じ事件をモチーフとした小説があったので、Kindleで開いてみた。

小説の文体に攻撃性を感じる。この文体で、ストーリーの刺々しさを感じる。犯人の人格の描き方も悪意に寄せて書いてあり、被害者の順応とのコントラスタを際立たせる。

犯人も被害者も、最初から破綻した関係と知りながら、終局が来なければいいのにと祈りながら時間を過ごす。ヒヤリとしながら読み進める感情は、こちらも犯人に感情移入してしまっているのだろうか。

著者が犯人の心情、被害者の心情にどれだけ寄って書くことができていたか。文体は荒いが、その荒さゆえ、寄り添い具合は読者に委ねられているのかもしれない。

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