『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』
芸大の展覧会「大吉原展」では、吉原の文化発信面や商業的な広報の面に焦点が当たっていたが、中で働く遊女の心情がそっちのけだったという印象を持った。彼女たちは前借金のカタに吉原に閉じ込められ、商品として着飾られ、強引に教養を押し込まれていたのでは。その部分の疑問は、展覧会では取り扱っていなかった。
そのような部分に焦点を当てて描いている書物はないかとKindleで探してダウンロードした本です。読み始めて気づいたのが、大吉原展は江戸時代の文化を取り扱っていたのに対し、本書の舞台は大正時代。そもそも時代が違った。でも驚いたのは、大正時代という近代においても、家の前借金のカタに娘が売られ、売られた娘は吉原に閉じ込められて身を売るほかない状態に陥ってしまっていること。公娼制度が、遠い昔の話ではないということです。
本書は、吉原に売られた娘による日記。自分がいかに騙されて吉原に連れてこられ、吉原に入ってからもいかに騙され続けてきているかということをひたすらに描かれています。弱い立場の人間が、いかに虐げられているか、筆者は赤裸々に綴っています。
吉原を糾弾する意図でもなければ、誰かに助けを求めるための日記でもない。ただ事実を書いたログ的なものでしかありません。だからこそ、心情などが素直に伝わってくるのでしょう。ただ、筆者は他の遊女に比べて冷静な視点を持っており、長いものに積極的に巻かれるタイプの人間ではありません。なので、長いものに巻かれる同僚に対しての視線は厳しい。しかし、思いやりも持ちます。
結局、その仕事は嫌だということはさんざん語られてわかりますが、どのようにその仕事が嫌なのかの描写がありません。校閲で消された部分にそういう記述があるのかもしれませんが、現代に残る文面では伝わらないままです。虐げられた内面を伝えるのは相当難しいのでしょう。だからといって、着飾った文化でかき消されてしまいませんように。
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