『東京貧困女子。』
現代社会で貧困に陥っている女性への取材記録。
前半は親の貧困で大学に通うのが困難な話、後半はDVなどが原因でシングルマザーになり貧困に陥った話。
機会は平等にあるというのは表向きの原則で、実際には機会は偏在しているのが事実。その代表的なのが大学進学だと感じる。大学進学という慣例に矛盾が孕んでいる。大学を卒業しないと貧困に陥る可能性が高まるにも関わらず(特に土木建築業に従事することが少ない女性は特にそうだ)大学進学は贅沢な行動であり、公的な助成制度は極めて貧弱であること。これは特殊な専門性が求められない事務職に対して大卒資格を求めている雇用慣例に問題があるように感じる。ただ、幹部候補でない一般職に対して高い報酬を支払う誘因が企業側に存在しない。そのあたり、簡単に解決する方法が思いつかない。
シングルマザーになったり介護離職して、その後に「普通」に復帰できない女性のインタビューも痛々しい。「非正規」になってしまった労働者が「正規」になるためのハードルはまだまだ高いのが実際なんだろう。この本で語られている貧困は、雇用の流動性の低さの現れである点も見逃せない。しかし著者は新自由主義に疑問を唱え、流動化が底辺に固定化される労働者を生んでいると主張しているように読める。きっと、労働市場の形成にどこか矛盾があるのだろう。「普通」に生活できている国民がもっと多くの税金や社会保険料を負担して貧困に陥った人々を救済するコンセンサスが本書のような記事で取れるとは思えない。強い解雇規制が現在の正社員の強い立場を産み、その反動としての正規非正規の格差が生まれていることにも注意が必要。このあたりも、ぱっと解決策が見いだせない。
インタビュイーはDVやパワハラなどで精神疾患に陥った人が多く、よけいに痛々しい。読後感は非常に悪い。人の不幸を覗き見する読書。読後感は最悪だと知っているのにどうしてこのような本を手に取ってしまうのか。酔って後悔するのに深酒をしてしまうのに似ている気がする。
この本は2019年の出版。コロナを経て、世の中はどう変わったのだろうか。