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2026年1月の3件の記事

2026.01.25

『ゼロから分かる!ジャズ入門 知れば知るほど、面白い』後藤雅洋

Kindle unlimitedにあったジャズの本です。ジャズは僕にとっては(おおよその人にとっては)娯楽音楽なので演奏でもしない限り入門なんてしなくてもいいのですが、それでも入門本を読んでみるのはいいかも、とダウンロードして読んでみました。

本書は、歴史、スタイル、代表的な演奏者の3軸をそれぞれに分けて、区分ごとの説明と代表曲を紹介しています。紹介された個別の曲は本なんか読んでいる場合ではなく聴かなければわからないのですが、何を聴けばいいのかという羅針盤を3軸も持つことで、ジャズを理解しやすくしてくれます。

スタイルによる区分も従来は気にしたことがなかったし、入門本をパラパラと捲っただけでもしらない演奏者がたくさんだなと言う印象です。紹介されているジャズスタンダード25曲ですら、知らない曲ばかりだ!やはり時系列が頭の整理になります。ここで整理された軸を気にしながらジャズを聴くことで、新たな発見がありそうです。

幸い、いまは音楽サブスクの時代。いろんな音楽を試しに聞いてみるのにはいい環境ですね。

世界文化社
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2026.01.14

登戸研究所

明治大学の隅にひっそり立つ「登戸研究所」。陸軍の秘密研究所跡地に、徹夜明け仮眠後の午後に訪れました。
生田駅から線路海側を遊園方面に歩いたところに明治大学生田キャンパスがあります。敷地に入り坂道を登ったところに小さな神社があります。陸軍登戸研究所(第九陸軍技術研究所)が建立した弥心神社(生田神社)です。昭和18年陸軍大臣の表彰金で建立されたとか。
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明治大学生田キャンパスのいちばん右奥(南西)に登戸研究所資料館があります。ただ「登戸研究所」はこの資料館として残されている建物だけではなく明治大学生田キャンパスとなっている広大な敷地全体に広がっていて、多くの木造建築物といくつかのコンクリート製建築物からなっており、資料館となっているのはそのうち保存されている建物のひとつにすぎません。
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この建物は明治大学が入手してから長いあいだ農学部の研究棟として使用されていましたが、戦争遺構の保存の目的で登戸研究所時代の間取りを復元し展示施設に改装しています。ただ、実際にこの建物がどのように使われていたか、詳しいことがわかっていないことも多いのが事実です。行ったときは、学生さんにガイドをして頂けました。まず、最初のビデオ。登戸研究所では戦争犯罪に関わる秘密の研究がなされていたこと、ここで働く人は厳しい箝口令が敷かれていたことを教わります。
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登戸研究所のイメージは、風船爆弾。紙張りの風船に爆弾をぶら下げて太平洋に飛ばしアメリカで着弾して爆発することを目指すというもの。荒唐無稽な計画だと思っていたのですが、実際には打ち上げ10,000発中1,000発くらいがアメリカ・カナダに着弾していると言うから意外と現実的な攻撃方法だったようです。アメリカでも混乱にならないよう報道規制が敷かれたいたというから、なかなか効果があったみたいです。偏西風、ジェット気流も研究されていて、温度による高度調整装置も付いているという意外にも高性能なものでした。貼る和紙も破れにくく弾力性があるように加工された高度なものです。登戸研究所に通う女学生が厳しい労働環境のもと作りました。
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(写真は風船爆弾10分の1模型)
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展示を見ていると、登戸研究所のメインは偽札の作成だったようです。蒋介石政権が発行した共通紙幣の偽札。しかし、日本との戦争が進むにつれ極端なインフレとなり、偽札が狙った経済混乱は埋もれてしまったようです。
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何に使われたのかよくわからない、暗室。扉の他にクランク通路があり、扉を閉めるとクランク通路を確保しつつ室内が真っ暗になる構造になっています。大きな流しがあるところをみると写真現像の暗室にも思えますが、この建物そのものは生化学兵器開発の研究所だったらしいので、本当のところは何なのでしょうか。なお、写真奥のランプの意味も不明で、これは陸軍登戸研究所が付けたものか、慶應義塾が付けたものか、明治大学が付けたものかもわからないそうです。
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登戸研究所は終戦直前の疎開で長野県駒ヶ根に疎開していたそう。その駒ヶ根に保存されていたのが石井式濾水器。アルミ珪藻土を巻いた筒をカートリッジとして機械に6本取り付け回転させて濾過させるもの。機械の中心にはブラシが付いていて、珪藻土の目詰まりを掃除する機能もあります。
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最後に見せていただいたのが、通称「弾薬庫」。ただし、登戸研究所当時に何に使われていたのかはわかりません。登戸研究所は大規模施設にも関わらず証言者が少なく、こんなことですらわかっていないのです。戦争の闇の深さを感じます。この「弾薬庫」も徐々に崩落が始まっていて危険なので、見物者は中に入ることができないほど。用途がわからないまま、戦争遺構が消滅してしまいそうで残念です。
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明治大学平和教育登戸研究所資料館

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2026.01.04

『江戸東京の坂道 凹凸から読み解く都市の成り立ち』 岡本哲志

東京には坂道が多いです。その坂道と周辺の街の歴史をなかなか細かく説明してくれている本です。

たくさんの坂道をただ説明しただけでは、なかなか理解が難しいです。この本では、武蔵野台地のうち江戸に該当するエリアを7つの台地と定義しています。7つの台地は「上野台地」「本郷台地」「小石川・目白台地」「牛込台地」「四谷・麹町台地」「赤坂・麻布台地」「芝・白金台地」です。、それぞれの台地に取り付く坂道をまとめて説明することで、理解しやすい工夫がされています。

江戸は江戸開府以降に大規模開発されたことで、江戸時代以降の文献はそこそこ充実しているのですが、戦国時代までのこの地域に関する文献は少ないのですね。中世までの江戸の地形は、想像するしかないのが残念です。特に、紅葉川と神田山。こんな市街地で、大規模な流路変更工事が人力で行われたのも驚きですし、そんな大規模工事の前の地形が想像するしかないという記録のなさにも驚きです。古に神田山があったことを想像しながら、水道橋から御茶ノ水までを歩いてみたいなと思わせます。

台地ごとの武家屋敷の区切りと歴史、その歴史に坂道が備わっているのです。人々が何の目的で坂道を通し、何を思いながら登り降りしたか。消えてしまった坂道も多いですが、それらの坂道まで思いを馳せて、東京を歩きたいです。

学芸出版社

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