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2026年3月の3件の記事

2026.03.28

『潮音』宮本輝

富山の薬売りの目を通じて見た幕末から明治維新の時代を、4冊にもなる大著で描きます。新聞社の社主が引退した売薬人にインタビューをするという形式です。歴史はたいてい為政者の視点で語られますが、この小説では地方商人という市井の人物の視点で語られているのが新鮮です。ただし語り部の売薬人は単に行商で薬を売っていただけではなく、行商先の薩摩藩との関係を保つことで、蝦夷地の干し昆布と中国の薬種を、岩瀬浜の廻船・薩摩藩・琉球王国を絡めて密貿易にて交換するという、複雑な組織の中にいた人物として描かれます。組織構造が複雑なので、物語内で説明しようとすると不自然になります。そこで、インタビューに対する語りの形式で小説にするという工夫がされたのでしょう。
史実に基づいたフィクションです。物語の序盤で、この物語が西南戦争で終わることが匂わされます。そして、実際に西南戦争で終結します。これは、インタビュアーである新聞社主も、小説の読者も西南戦争を知っているという前提での構成です。物語の結末をプロローグに描いて本編に入る構成の小説を時おり見かけますが、そのプロローグを歴史の教科書に委ねた形です。歴史小説というのは、こういう構成になるのでしょうね。
史実に基づいた小説ですので、その史実を確認するための調査はとても大変だったと思います。文芸誌に10年かけて掲載されたものとのことですが、構成を練ってある程度の下調べをしてからの掲載開始だと思いますので、宮本輝が掛けた時間はもっとたくさんです。綻びなく調べ、歴史的な事件を大胆かつ緻密に書き、しかしながら落ち着いて語るという絶妙な温度感と手触りの文章をたっぷり浴びることができました。
語り部は越中八尾(旧富山県婦負郡八尾町)で社主に語ります。読んでいるうちに、その場所に行きたくなりました。読書途中でしたが3泊4日を富山で過ごし、八尾まで足を伸ばしました。八尾を訪れた話は、またどこかで。
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2026.03.22

クロスガーデン多摩

クロスガーデン多摩が廃墟化しているとのネット記事がありました。

週刊東洋経済オンライン - 空床だらけで閑散「多摩の廃墟モール」失敗の要因https://toyokeizai.net/articles/-/938511

2008年オープンのショッピングモールで、子どもが小さい頃は何度か自家用車や電車で来たことがあります。その頃も流行ってる感はあまりなく、閑散としたモールだったと記憶しています。ボールプールなどがある小児向け遊戯施設があったような。

実際に訪ねてみました。訪問日は2026年3月22日(日)です。

店舗床は3層で、大きく南北に分かれます。

1階南:モールの核テナントである食品スーパー「foodium」が2月1日に閉店していて、スーパー前のモス、QB、クリーニング店だけが営業を続けている異常な状態です。ここに食品スーパーを誘致できないとモール全体が壊滅的なのですが、開店予定情報などは見つかりませんでした。

1階北:フィットネスクラブが2店舗入っています。どちらも目的を持って来店する類の店舗ですので店構えは地味で、モールの賑わいに寄与していません。

2階南:やたらと広いクレーンゲーム専用ゲームセンターと、小児〜児童向けの屋内遊戯施設「ファンタジーキッズリゾート」が入居しています。遊戯施設はそこそこ賑わっているよう。この施設を目的に来街する家族は一定数いそうです。

2階北:100円ショップのセリア、廉価服販売の「タカハシ」のほか数店舗が入居し、モールの体を為している印象です。ここには児童向けスポーツクラブがあり、僕が通った時は通路に行列ができていました。

3階南:奥に古着屋「トレファクスタイル」ファンシー雑貨「パステル」写真スタジオ「ふるーれ」などが営業しておりモールの体は為しているように見えますが通路が薄暗く、どことなく廃墟感があります。入口付近に大きな空き区画があるのが残念です。

3階北:壊滅状態です。モール内通路側は一つの区画も営業していません。外通路側に学習塾、シミュレーションゴルフ、焼肉店が営業しているだけです。

全体的には、空き床が多く廃墟と言えなくもないですが、人が皆無というわけではありません。まずは1階核テナントを埋めること、次に3階空き区画を埋めて賑わいを取り戻すことが課題なのでしょう。ココリア裏という微妙な立地を、どう乗り越えるでしょうか。

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2026.03.01

『ダブル・ファンタジー』村山由佳

読者の倫理観を揺さぶりながら、欲望と承認の迷路へと引きずり込む危険な小説です。主人公・奈津は、転がり落ちるような人生の只中で、「自分を引き上げてくれる男」を探し続ける。恋愛体質という言葉では足りないほど、愛情・快楽・承認欲求の境界が曖昧になり、誰かに愛されている自分、必要とされている自分を確認するために、男たちとの関係へと身を投じていきます。
本作で特に印象的なのは、奈津が男たちをセックスの相性や技量で容赦なく評価する視線です。素晴らしい体験としてのセックスと、くだらない体験としてのセックス。その落差の表現は残酷で、時に読む側がたじろぐほど露骨です。くだらないセックスをする男への蔑みは、読者に不快感すら与えます。その不快さこそが奈津の空虚さと切実さを際立たせ、作品の強烈な読み味を形づくっています。
物語には、自由な恋愛、自由なセックス、自由な仕事が描かれています。しかしその自由は、都会的な自立した女性像への憧れにも見える一方で、欲望に流され続ける漂流者の姿にも重なります。嘘をついて外泊し、劇作家と関係を持った時点ではまだ罪悪感があるが、物語が進むにつれ奈津の中から倫理が薄れ、どんな男と寝ても罪悪感が消えていく。その過程に読者も巻き込まれ、気づけば倫理の基準が揺らぎます。小説として非常に危険でありながらも、目を離せなくなります。
「よくここまで書いたな」と思わず唸ってしまいます。性、承認、自由、破滅。これらを真正面から描き切った本作は、読者の価値観を揺さぶる力を持つ一冊です。

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