高岡市街
2026年3月に富山を訪れた記録を何回かに分けて。
高岡市街地は北陸本線(あいのさと富山鉄道)高岡駅北口が商業地である御旅屋町、御旅屋町の北東に高岡城址、北西に旧市街地である山町筋、駅の南側に瑞龍寺という構成です。有名な高岡大仏は御旅屋町と城址のあいだにあります。

加賀藩2代目の前田利長が隠居城として築城したのが高岡城。しかし高岡城はすぐに廃城になり、また越中の東半分に前田家分家が富山藩を成立させたため、高岡は政治的には微妙な場所になりました。でも加賀藩の政策により商工業の振興は継続され、町人文化により発展し続けた街です。
そういった経緯から、高岡において政治的に名を残す人物は前田利長くらい。利長の菩提寺が、駅の南側にある瑞龍寺です。高岡唯一の名だたる人物ということで、伽藍は荘厳です。平日の朝に訪れたため参拝客は少なく、キリッとした空気に支配されていました。

城址には射水神社があります。もともとは伏木の近くの二上山にあった神社ですが、明治時代に城址に移りました。城としての機能は江戸時代初期に失われているため、堀や石垣のある城址と地上設備との違和感が何とも言えない風景を作っています。大仏は市街地に突然現れます。奈良や鎌倉の大仏はそれなりの囲われた場所にもったいぶって置かれていますが、高岡の大仏は街の中に溶け込もうとしているかのよう。訪れたときは保育園の散歩の行先になっていました。旧市街であり歴史地区である山町筋も観光資源としてのまとまりはイマイチで、繁華街としての盛り上がりも見えず、都市としてのあり方が難しくなっている地方都市に見えました。

高岡市街地には市電が走っています。この規模(市人口17万人、DID人口9万人)の規模にしては珍しいと思います。万葉線と名付けられたこの市電の行先は伏木港(の向かい)を経由して新湊まで。外港と市街地を結ぶ路線のようです。富山と同様、高岡にとっても外港は大切な存在のようです。旧市街地近くの停留所「片原町」は道路にペイントしただけのホームで、電車待ちはかなりのスリルがありそうです。











