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2026年4月の4件の記事

2026.04.29

高岡市街

2026年3月に富山を訪れた記録を何回かに分けて。

高岡市街地は北陸本線(あいのさと富山鉄道)高岡駅北口が商業地である御旅屋町、御旅屋町の北東に高岡城址、北西に旧市街地である山町筋、駅の南側に瑞龍寺という構成です。有名な高岡大仏は御旅屋町と城址のあいだにあります。
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加賀藩2代目の前田利長が隠居城として築城したのが高岡城。しかし高岡城はすぐに廃城になり、また越中の東半分に前田家分家が富山藩を成立させたため、高岡は政治的には微妙な場所になりました。でも加賀藩の政策により商工業の振興は継続され、町人文化により発展し続けた街です。

そういった経緯から、高岡において政治的に名を残す人物は前田利長くらい。利長の菩提寺が、駅の南側にある瑞龍寺です。高岡唯一の名だたる人物ということで、伽藍は荘厳です。平日の朝に訪れたため参拝客は少なく、キリッとした空気に支配されていました。
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城址には射水神社があります。もともとは伏木の近くの二上山にあった神社ですが、明治時代に城址に移りました。城としての機能は江戸時代初期に失われているため、堀や石垣のある城址と地上設備との違和感が何とも言えない風景を作っています。大仏は市街地に突然現れます。奈良や鎌倉の大仏はそれなりの囲われた場所にもったいぶって置かれていますが、高岡の大仏は街の中に溶け込もうとしているかのよう。訪れたときは保育園の散歩の行先になっていました。旧市街であり歴史地区である山町筋も観光資源としてのまとまりはイマイチで、繁華街としての盛り上がりも見えず、都市としてのあり方が難しくなっている地方都市に見えました。
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高岡市街地には市電が走っています。この規模(市人口17万人、DID人口9万人)の規模にしては珍しいと思います。万葉線と名付けられたこの市電の行先は伏木港(の向かい)を経由して新湊まで。外港と市街地を結ぶ路線のようです。富山と同様、高岡にとっても外港は大切な存在のようです。旧市街地近くの停留所「片原町」は道路にペイントしただけのホームで、電車待ちはかなりのスリルがありそうです。
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2026.04.19

岩瀬・伏木

2026年3月中旬に富山を訪れた記録を何回かに分けて。

富山市電の北側、日本海側の終点は岩瀬浜というところです。ここには富山港があります。近代的な地方港ですが、江戸時代は越中富山藩の外港として開発されて北前船の寄港地として発展した歴史ある街です。しかし、平日の午後に降り立った岩瀬浜駅周辺の光景は寂しく、単に地方都市の郊外でした。ぱっと見は1時間に1本程度のバスだけが来るようなバス路線の終点のような場所ですが、市電の高頻度交通が整備されているのは素晴らしいです。
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岩瀬浜駅から岩瀬運河をわたり神通川のほうに歩いていったところが、岩瀬の旧市街地。その西側の神通川(正しくは富岩運河)沿いが、富山港です。埠頭脇に展望塔があり、階段がたいへんですが登ることができます。最上階には立山連峰の姿を収めるシャッターチャンスを狙っているカップルがいました。ここからは富山市街地越しの立山連峰が見られる撮影スポットなんですね。港の方に目を移すと、車両運搬船が停泊していて、ヤードにはたくさんの乗用車が並べられています。あとで喫茶店に入った時にママに聞いた話だと、ウクライナ紛争が始まってから荷物が止まってしまっているとのこと。国際情勢が地方港で目に見える形になっています。
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越中地方で近世に岩瀬と並び栄えた港が伏木。この地は古代から越中の中心地とみなされていたのか、越中から能登を切り離した際に、越中の国府が置かれました。現在の勝興寺が国府として比定されているようです。勝興寺の門前通りに可愛らしい洋風建築があります。伏木測候所。伏木港の近代化、汽船就航で気象観測の必要性が高まり、伏木の船会社が開設したものがもとになっているとのこと。現役の観測所でありつつ、近代観測所設備の博物館にもなっています。日本の産業近代化には、このような裏で技術的に支える人々や設備が必要だったのですね。
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越中一之宮である気多大社も伏木にあります。神社に登る階段からは富山湾が一望でき、この視界を中世の人々は重宝したのでしょうか。越中国府開設初期に国司として赴任したのが大伴家持。そのおかげで万葉集には大友家持が詠んだ越中の和歌が多く収載され、伏木周辺は万葉集に詠まれたちとしての地域アピールが強く高岡市内の市電の愛称も「万葉線」となっています。岩瀬と伏木、富山県内の2つの港の歴史だけでも、かなり深いです。
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2026.04.18

富山市街地

2026年3月中旬に富山を訪れた記録を何回かに分けて。

富山市の市街地は、富山駅南口から富山城址にかけてが官庁・ビジネス街、城址南東側が繁華街という構成です。不思議なのが、やたら空間が広い富山駅北口です。駅から北口に出ると左側にホテルの入るビル、右側にはインテックなどが入るガラス貼りの高層ビル。松川に架かる橋を渡って左側は広々とした富岩運河親水公園という公園になっています。運河跡地の池に天門橋という展望塔を兼ねたシルエットが美しい橋があり、その奥が富山県立美術館となっています。
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この広い公園、実は富山市街地の西を流れる神通川の旧流路。富山市街地でけっこう大胆な河川改修工事が行われた跡地が、この環水公園です。実は北陸本線が開通したときの富山駅は原位置でありながら神通川の左岸だったのです。流路変更で富山市街地と同じ神通川右岸になりました。旧流路は概ね現在の松川。城址公園の北側から富山駅の東を回り、環水公園に至ります。富山城が、神通川の曲線流路を自然の要害として作られたという富山城の立地も理解できます。
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富山市の旧市街地は富山城址の南側から東側の一帯です。神通川の旧流路と富山城の立地を考えると、西側・北側は神通川ですから、確かに駅の南側・東側が城下町なのが自然です。このあたりの旧市街の繁華街は総曲輪という地名。平城の惣構えの街の構造に由来するのでしょうか。南側はアーケード街を有する商業地になっています。アーケード街に県内唯一の百貨店である富山大和も抱え、地方都市とは思えない賑わいを見せています。

東側は歓楽街。飲み屋などが多い様子で、無料案内所が何ヶ所かあったことから、風俗店も混ざっているのでしょう。経済集積があってお金が集まっている場所なのだと、こういうところから窺い知ることができます。コンビニに朝刊を買いに行った早朝には、どこかのビルから若者が叫んでいて、富山総曲輪に何かを求めて集まっている人がいることも感じます。
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商業地を歓楽街が交わるところには、西本願寺派・東本願寺派それぞれの大きな寺院があります。そういえば北陸は戦国時代に一向一揆の拠点となった地方。歴史の教科書で習った事柄が、現地にこうやって残っているのですね。

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2026.04.05

富山市電

2026年3月中旬に富山を訪れた記録を何回かに分けて。

北陸新幹線富山駅の改札口を出たところは駅コンコースになっています。北陸本線(あいのかぜ富山鉄道)の駅コンコースも兼ねている空間です。その駅コンコースに、市電の駅が設置されています。市電の駅前停留所は駅前ロータリーや駅前道路に設置されることが多いと思いますが、まさかの駅ナカです。北陸本線の高架化工事の際には新たなLRTのありかたとして脚光を浴びましたが、さすが脚光を浴びただけのことはあります。

市電の系統は、駅から北方向に岩瀬浜方面、駅から南方向に循環線(反時計回りの一方通行)、富山大学方面(途中まで循環線と同じ線路)、南富山方面(途中まで循環線と逆方向が同じ線路)の4系統です。循環線以外は富山駅での直通または折り返し直通とすることで、系統にバラエティを持たせています。コンコース内の線路は2線を南北(北が岩瀬浜方面、南がそれ以外)に分割した両側ホームとすることで、8ホーム構成となっています。
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富山市の中心市街地は富山駅付近から富山城址南側の総曲輪繁華街までの1km四方くらい。東京でいう山手線内側(南北9km×東西7km)に比べてもコンパクトなものです。この中心市街地を循環線が取り囲むように走ります。コンパクトなので一方通行で事足りる。そういう街の特性をうまく活用した設計になっていると思います。こうした巧みな設計のおかげか、ダイヤも高密度にも関わらず1編成あたりの乗客もそこそこ多い。古い「市電」の吊り掛け電車と、新しい「LRT」の両方の面を持った鉄道で、車両も様々なものが混在しているところも、魅力いっぱいです。
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