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2026年5月の4件の記事

2026.05.21

富山県文学史

富山県の文学館で主要なのは「富山県立高志の国文学館」と「高岡市万葉歴史館」でしょうか。高志の国とは、越前、加賀、能登、越中、越後(現在の福井県、石川県、富山県、新潟県)の大化の改新頃までの地域名でとても広大な地域を指しますが、高志の国文学館は富山県立博物館であり、取り上げるのも富山県です。
富山県の文学史で非常に重要な地位を占めるのが、奈良時代の歌人である大伴家持です。万葉集に非常に多くの和歌を残す歌人なのですが、その多くが越中国司として伏木に赴任した5年間の和歌。そのため、越中文学と大伴家持を切り離すことはできません。しかし、古代から近世にかけて、大伴家持以外に越中の文学が発展しなかったことも、高志の国文学館、万葉歴史館の展示の裏返しとして知ることになります。翌々考えたら、日本の古典文学のほとんどは京都で作られ、近世もほとんどが江戸か上方で作られたものなのですね。地方都市の文学史は難しいものがあります。大伴家持は奈良から突如現れたスーパースターなわけです。
近代になると、富山県出身の作家が現れます。しかし、富山県ゆかりの作家が富山在住のまま創作活動をしたわけでなく、東京に移住して創作活動を行っている事実もあります。まだ、地方都市からの文学発信は難しいのでしょうか。文学館の館長を務める室井滋さんも、滑川出身東京在住ですね。
私の故郷(兵庫県伊丹市中野)の郷土作家と思っていた宮本輝が郷土作家として高志の国文学館で展示してあることに驚き、そのあと納得しました。旅の行先に富山を選んだのは宮本輝『潮音』で越中富山の売薬人が描かれていたからですし、螢川の舞台も富山。文学館の説明を見ると、宮本輝は神戸出身であるものの小学生の一時期を富山で暮らしていて、富山ゆかりの作家なんですね。

高志の国文学館は旧富山県知事公舎跡地の博物館。庭も美しい。
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高岡市万葉資料館は伏木の勝興寺から少し山側に入った伏木を見渡せる丘の上にあります。
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2026.05.06

越中八尾

八尾は「やつお」と読みます。飛騨地方から富山県南部に続く山地の北の縁に位置し、いくつもの川が合流して井田川が大きな流れになる所の近くです。井田川の氾濫原でなく、一段上がった河岸段丘上に市街地が形成されているのが特徴です。付近の井田川の標高が70から80メートル、八尾旧市街の標高が95から115メートルくらいですから、30メートルぐらいの崖上に市街地が形成されていることになります。この崖は石組みになっていて、なかなか迫力のある地形です。
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崖上の旧市街地は建物が景観配慮されていて(エアコン室外機が黒色塗装されている!)一部の通りは石畳舗装されているなど、街そのものを観光資源としていることがわかります。この街は国の重要伝統的建造物群保存地域ではなく、八尾地区景観まちづくり推進地域として守られています。観光の街なのですが、僕が歩いた観光オフシーズンの平日はとても静かな街でした。
この街は江戸時代初期に加賀藩から開町の許可を得たとの説明があります。意外と新しいというのが僕の印象です。この時期には地方間の交易が盛んになり、飛騨と越中との交易拠点として重要になってきたのでしょう。さらに養蚕や製紙も栄えたとのことで、農工商のバランスよく、江戸時代から明治期にかけて街が発展したのだと思います。いくつかの町内で構成される旧八尾市街地ですが、特異なのが崖下にある鏡町という町内。現在は大きな料亭があります。ここは明治期に遊郭が設置された場所とのこと。遊郭が置かれるということは、八尾では大きな金銭が動き、他地方との交易も盛んであったことを窺い知ることができます。
越中八尾は祭りの街。いくつかある八尾の観光スポットのうち2つが祭りに関するもの。「八尾おわら資料館」と「八尾曳山展示館」です。八尾の祭りで有名なのが「おわら風の盆」です。編笠をかぶり静かに踊りながら街を練り歩く風の盆は映像で見ているぶんにも風流で、男踊り・女踊りの構成もどこか艶めかしさを感じます。この祭りを舞台にした小説もあるくらいです。(高橋治『風の盆恋歌』) もう一つが、曳山祭り。高さ7.5mもの曳山が6基、この小さな八尾の街を練り歩きます。とても見応えがありそうです。6基の曳山のうち3基は曳山展示館で展示されていて、祭りの時期でなくてもその迫力を感じることができます。
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街の歴史や祭りを想像しながらの崖の上の街の散歩でした。

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2026.05.03

氷見・雨晴

年3月に富山を訪れた記録を何回かに分けて。

氷見は漁港の街。魚を求めて氷見漁港内にある食堂を訪ねました。平日正午前に整理券を取って50分待ちの大人気です。12時半頃には1時間半待ちくらいになっていました。待ち時間に少し市街地を散歩しましたが、中心市街地はほぼシャッター通りになっていて残念です。藤子不二雄の出身地というネームバリューも活かしきれていません。単価の高い水産物が水揚げされる場所と思っていたのですが、波及効果は郊外のショッピングセンターに行ってしまうのでしょうか。散歩から漁港に帰ってきて振り向くと、富山湾の向こうに薄っすらと立山連峰が見えました。
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ブリが終わり、白エビがまだという微妙な季節に富山に訪れてしまったため、氷見漁港で食べた海鮮丼は、イワシが中心でした。なんだイワシかと思って食べると、脂が乗っていて口の中で解れる、いままで食べたことのないようなイワシでした。氷見まで来た甲斐があった。とは言え、イワシを求めて遠方から来る人はなかなかいないでしょうね。
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氷見から富山への帰路は海岸線近くの道を選択。氷見からしばらく進むと、NHKドキュメント72時間で紹介されていた道の駅雨晴があります。山/道の駅/国道/氷見線踏切/義経岩/海岸/富山湾がぎゅっと詰まった場所です。義経岩は弁慶が大岩を持ち上げて源義経が雨宿りした伝説がある岩です。実際には能登の隆起と富山湾の沈降の端境で複雑な地質のところ、海岸侵食で花崗岩が残ったものなのでしょう。雨晴では海岸選沿いを通る気動車と立山の遠望という光景が見れることで、撮り鉄スポットになっています。訪れた日もたくさんの撮り鉄の人たちが氷見線の気動車を待っていました。
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雨晴からもなるべく海岸線近くの道路を通ります。ハイライトは富山新港をまたぐ新湊大橋。海上47mという高さを、比較的細い車道で渡ります。若干心細い感覚になります。そして正面遥かに立山連峰。桁間を走っている間は、立山連峰に飛び込む気分になりました。

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2026.05.02

53歳6ヶ月を迎えました

53歳6ヶ月を迎えました。母の享年です。3年ほどの闘病生活ののちに亡くなりました。周囲からは、余りにも早い死を悼む声が多かったです。当時の僕から見ると53歳は初老であり、早いという感覚はありましたが「あまりにも」ほどではないと思っていました。洛中の都会に生まれ育ち波乱を苦しみ生き抜いて兵庫県伊丹市に流れ着いた母の人生は密度が高いものでした。息を引き取ったとき、これで母がゆっくりできるのかという安堵すら覚えました。

いざ自分が53歳6ヶ月を迎えてみると、確かにここでは生き足りない感覚が強いです。母ほど波乱の人生を歩んでいないことを差し引いても。まだまだやりたいことはたくさんある。どちらかというとこれからが人生だろうという思いもあります。こう考えると、母の無念の中で息を引き取ったのだろうと今さらながらに思います。

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