2026年6月の7件の記事
2026.06.27
2026.06.15
2026.06.14
2026.06.13
『カフェーの帰り道』嶋津輝
戦前戦後、東京下町の場末。この頃に生きた女性の立ち位置は、なかなか難しいものではないでしょうか。政治は近代化してジェンダーの壁は徐々に崩れつつありますが、経済や戦争は男性を中心に回っていて、女性には女性の職業がある。カフェーの女給という仕事も、女性の職業の一つ。女給の位置付けも幅広く、食堂のホールで食べ物を運ぶ仕事から、ほぼ性風俗の従業員まであります。それらをひっくるめて、女性独特の仕事という目で見られていたのだと思います。自らの意志で働きに出る女性は、なんとなく不安定な場所にいる。そして、時代の流れに翻弄されやすい。それゆえ、華やかさではなく哀愁を感じる存在です。都会に生きることって、華やかでもなくみすぼらしくもなく、すき間に小さく咲く一輪の花のようなもの。通り過ぎる人にとっては単なる雑草かもしれませんが、足を止めて顔を近づけた人には、咲いた場所、季節、花弁の色それぞれの個性と物語を伝えてくれるものです。場末のカフェーの女給は、そういう存在なのでしょう。

『PRIZE』村山由佳
小説などの書籍は、作家・著者と編集が二人三脚で作り上げていくと聞いたことがあります。しかし、作家と編集は並列ではなく、作品は作家のもの。協業の成果は作家の名のもとに世に出ることになります。編集は、作家の仕事が書籍という製品になるための仕事をする役目です。作家にはクリエイティブ能力が求められ、編集にはビジネス能力が求められます。立場も求められる能力も違う二人が並走して一つの作品を作り上げていく。編集にとって、作家との間に取るべき距離感を掴むのも、とても難しいのでしょう。編集はあくまで編集という立場から作家と接しなければなりません。そうとわかっていても、切羽詰まった状態で正しい立ち位置にいられるか。責任、プライド、功名心、いろんなことに惑わさされて、人は立ち位置を間違えるものなのです。
立ち位置を誤らせる要素の一つとして、カリスマ性があります。トップ作家となれば大いなるカリスマ性を纏います。自分の生み出すものは力を持ち、その力で人々を動かすことができる。それでも、本書の主題にある文学賞は自らの力で動かすことができません。もどかしい。壁にぶつかって喘ぐ人間の醜さが露呈します。そうして、カリスマの立場で凡人の伴走者にすら縋ってしまうのです。そう、カリスマを持つ者の奢りは、切羽詰まった時に狂気を呼び起こします。カリスマに支配されている人は、その狂気を最も恐れます。狂気に至らないよう防波堤になる者、狂気に押し潰されてしまう者、狂気に果敢に挑む者。カリスマに支配されていない安全な場所から見ている本書の読書から見ると滑稽ですが、滑稽だとは言い切れない引っ掛かりを小説の文章の中に巧みに散りばめられています。
これから本書を読む人にはカリスマの脆さ、弱さ、狂気をたっぷり味わって頂きつつ、カリスマに支配されたものの責任が重い読後感を抱えてもらいたいです。

2026.06.09
『歌集 短歌の秋 2023』
Kindle Unlimitedでおすすめされた短歌雑誌です。角川短歌や短歌研究と違って、フランクと言うか、カジュアルと言うかといった構成の雑誌です。文学性を重んじる作風ではなく、SNS受けを狙う作風の短歌が多いでしょうか。感覚の深さに取り組みのではなく、鋭い感覚をあっけらかんと語ったり、突拍子もないことを言ってみて読者を驚かせることを楽しむ作品も多いですね。こういう作品を取り上げる場所があることで、単価の世界も歴史ある結社誌だけでない多様性が広がるのだと思います。
どのような人が、どのような短歌を詠むのか。そして詠まれた短歌をどのように鑑賞するのか。結社誌だけでない詠む〜読むの経路があるのがいいですね。こういう文学フリマ的な短歌雑誌にたまに寄り道するのも、いい刺激になります。SNSによる短歌ブームのその先にあるような、そんな短歌雑誌でした。





